「内海さん,電話です。フィンランドから」

 1985年,内海信二(当時はタンディー・エレクトロニクス・ジャパン代表取締役社長)は韓国の馬山にある工業団地に,フィンランドNokia Corp.と米Tandy Corp.の合弁工場であるTandy Mobira Corp.(TMC)を立ち上げた。

 課題だった量産ラインの調整にようやくメドが付き,携帯電話機の製造はなんとか軌道に乗り始めた。出荷した携帯電話機は,Tandy社が経営する家電チェーン「Tandy RadioShack」の購買担当者(バイヤー)の評価も高かった。さらに増産を進める方向で話がまとまるところまでこぎ着けていた。そんな矢先,Nokia社から1本の電話がかかってきた。

 「はい,内海です」

 電話口から返ってきた声は興奮していた。

 「内海さん,どういうことですか。価格ダンピングをしているんじゃないだろうね」

 「何のことですか?」

 内海が電話口で問いただすと,Nokia社の担当者は,内海が作成した価格見積書の内容に驚いて,電話をかけてきたことが分かった。彼は,内海が経営するTMCの携帯電話機の製造における部品コストの見積もりが,あまりにも低すぎると考えていたのである。

 「これはフィンランドの部品調達コストの1/2だ。こんなことはあり得ない」

 内海はようやく合点がいった。ああ,そのことか。それは,まあびっくりするだろうな。

 「何もおかしいことはありません。もちろん,価格ダンピングのような,不当なことは一切していませんよ」

 内海は内心,してやったりと思いながら,努めて冷静に振る舞った。