変わる時代の気分

 もちろん,TI社の戦略を読み切っていた国内メーカが,キルビー275特許の成立を指をくわえて見ていたわけではない。実際,1986年11月に公告となった同特許をみて,戦々恐々とした国内メーカは合計13件の異議申し立てを特許庁に提出している。

 国内半導体メーカはこの異議申し立て以前にも,1960年の出願から分割を繰り返していたキルビー特許の成立をことごとく阻む努力を続けていた。IC産業の立ち上げに力を入れていた通産省も,1960年代~1970年代にかけてこの動きを後押しする方向で政策を進めており,これが約30年もの間,キルビー特許を眠らせる要因となったとの見方が強い。

 しかし,最後に生き残ったキルビー275特許に関してだけは違っていた。多くの証言は,1980年代後半の「時代の気分」がキルビー特許の復活を手助けしたことを示唆している。キルビー275特許に対する異議申し立ては,これ以前の行動とは「必死さ」が違っていたというのだ。

 NECで知的財産権部門に長く携わってきた仁平繁通氏(現同社理事 知的財産主席主幹)は,1960年代のキルビー特許上陸時の雰囲気を「義憤」という言葉を使って表現している。

「キルビー特許が登場した時代には,『国内半導体産業の成長を妨げるこんな特許を許してよいのか』という半導体産業草創期の技術者たちの義憤が異議申し立ての文面ににじみ出ているようでした」

 仁平氏は,この技術者の「義憤」がキルビー275特許の成立した1980年代後半にはもう存在しなかったと指摘する。

 「1980年代後半には,1960年代を知る現場の技術者は少なくなっていました。加えて,一人ひとりの技術者がカバーする技術範囲は狭まり,より専門性の高い分業が進んでいた。特許問題は技術者の仕事ではなく,知的財産権部門の問題という雰囲気で開発現場の動きは鈍くなっていたのです」