「おい,これ見ろよ」

 「えっ」

 1990年12月12日の午後,国内半導体業界の関係者は夕刊に釘付けになった。

 『東芝と10年間契約,米TI,半導体特許で合意』。

 同日の日本経済新聞は,米Texas Instruments Inc.(TI社)が発表した東芝との包括クロスライセンス契約の締結を夕刊1面で大きく報じた(表1)。恐らく,夕刊を読んだ業界関係者は,この契約が当時話題の「キルビー275特許」を含むことを直感したはずだ。

表1 キルビー特許開始前後の動き(表:日経エレクトロニクス)
表1 キルビー特許開始前後の動き(表:日経エレクトロニクス)
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 この第1報と翌日の同紙朝刊の続報を総合すると,TI社がキルビー275特許で得たロイヤルティ収入がいかに巨額だったかが推測できる。第1報は『特許交換では異例の』という形容で,契約が10年間にわたる長期間のものであることを強調し,続報ではTI社が東芝から受け取るロイヤルティ収入が年間で100数十億円に上ると述べている。

 これらの数字から単純計算すれば,TI社が契約期間中に受け取ったであろうロイヤルティは1000数百億円。東芝の連結最高益に匹敵する額である。当時の東芝は,半導体シェアで世界2位。花形のDRAM分野では世界シェア1位を誇る,いわば半導体業界のガリバーだった。それだけに同社がTI社に支払う巨額のロイヤルティは,同じ時期にライセンス契約の更改を迎えていた国内半導体メーカにかつてないほどの大きな衝撃を与えたのである。