バブル経済が終わりを告げた一九九一年夏。
富士通と米テキサス・インスツルメンツ社は係争状態に入った。
国内最大級の特許訴訟といわれる「キルビー特許訴訟」である。
闘いの軌跡:キルビー特許訴訟
目次
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キルビー特許に関するTech-On!記事一覧
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最後の審判(後)
訴訟開始から9年。富士通とTI社が争った1990年代に日米半導体業界の立場は逆転した。「失われた10年」。「未曾有の大不況」。不況にあえぐ日本を,さまざまな形容で伝える報道を目にするのは日常茶飯事になった。
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最後の審判(前)
1994年8月には東京地方裁判所が富士通勝訴の判決を下し,3年後の1997年9月には東京高等裁判所が米Texas Instruments Inc.(TI社)の控訴を棄却する(表1)。同11月には,特許庁が富士通の無効審判請求を認め,キルビー275特許を無効とする審決を下した。
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思わぬ収穫(後)
富士通の井桁貞一氏(現同社 法務・知的財産権本部 特許部長)は,東京地方裁判所の法廷で弁護団とともにその瞬間を待っていた。
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思わぬ収穫(前)
富士通の井桁貞一氏(現同社 法務・知的財産権本部 特許部長)は,東京地方裁判所の法廷で弁護団とともにその瞬間を待っていた。
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空を飛ぶ配線(後)
素子間の接続方法に関しては,キルビー特許以外にももう一つ,ICの基本特許として名高い特許が存在する。米Fairchild Semiconductor社のRobert N. Noyce氏が発明した,プレーナ型トランジスタを使ったICの特許,いわゆる「プレーナ特許」である(図2(b))。キルビー特許とほ…
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空を飛ぶ配線 (前)
「弁護を依頼していただいて本当に感謝しています。国内ではダントツの大規模特許訴訟。弁護士冥利に尽きるというものです。とてもやりがいのある9年間でした」
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ルビコン渡る農耕民族(後)
富士通経営陣がある程度の自信をもって提訴に踏み切ることができた背景には,米国大手メーカとの血みどろの訴訟を乗り切った経験があった。1980年代に闘い抜いた米IBM Corp.とのソフトウエア著作権紛争,いわゆる「IBM事件」が,訴訟に対する富士通の敷居を下げていたのだ。
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ルビコン渡る農耕民族(前)
「キルビー275特許成立まで34年もの間,特許庁と闘い続けたTI社の執念には本当に感服します。自分から積極的に権利を取りにいく。狩猟民族的な発想だ。それに比べて,やっぱり日本メーカは農耕民族的だね。お天道様頼みというところがある。そして,お代官様の取り立てからは逃げられないと思っている。田畑をもって…
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白旗を掲げたガリバー(後)
もちろん,TI社の戦略を読み切っていた国内メーカが,キルビー275特許の成立を指をくわえて見ていたわけではない。実際,1986年11月に公告となった同特許をみて,戦々恐々とした国内メーカは合計13件の異議申し立てを特許庁に提出している。
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白旗を掲げたガリバー(前)
「おい,これ見ろよ」「えっ」1990年12月12日の午後,国内半導体業界の関係者は夕刊に釘付けになった。『東芝と10年間契約,米TI,半導体特許で合意』。同日の日本経済新聞は,米Texas Instruments Inc.(TI社)が発表した東芝との包括クロスライセンス契約の締結を夕刊1面で大きく報…
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蘇る三十年前の亡霊(後)
1989年10月30日。キルビー275特許は成立した。同11月22日には日本経済新聞が1面トップ記事としてこれを紹介し,その成立は広く世に知れ渡ることとなる(図2)。キルビー275特許の成立は,国内半導体メーカを震撼させた。
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蘇る三十年前の亡霊(前)
1991年7月19日。この日,富士通は,本社のある東京・大手町で記者会見を開いた。会見場には新聞やテレビなど,多くの国内報道陣が詰めかけ,ただならぬ雰囲気が漂っていた。