オムニビットの小股淳氏
オムニビットの小股淳氏
30代,男性PND,テレビ開発

【事例2】
事業部が突然解散
部署異動か,転職か,起業か

 オムニビットは,小型の情報端末などの設計・開発を手掛けるベンチャー企業である。代表の小股淳氏が,技術者仲間3人とともに2009年7月に起業した。小股氏がこの小さなベンチャー企業を思い切って始めたのには,技術者としてのある思いがあった。

 小股氏はもともと,大手家電メーカーで液晶テレビの開発に携わっていた。しかし,業績悪化によって会社の方針が売り上げ重視に傾き,技術者にとって居心地の悪い雰囲気になっていった。早期退職者の募集が始まると,数人の仲間たちと会社を飛び出した。転職先として面白そうな会社が見つかったからだ。

 それが,コードレス電話などで知られるユニデンだった。同社は2004年ごろにデジタル家電事業に参入しようとしており,ちょうど液晶テレビの技術者を募集していた。「大手メーカーが牛耳っているテレビ市場に,今から参入しようというのか。無謀だけど面白いかも」。小股氏はそう思った。

開発の全体像を見通せた

 前会社では,テレビ開発の一部であるソフトウエア開発を手掛けた。専門領域に特化した仕事であり,開発の全貌を把握することは困難だったし,そうしたことは技術者として必要とされなかった。

 しかし,ユニデンは前会社に比べれば規模が断然小さい。それ故,テレビをまさに一からスクラッチで作る感覚があり,開発の全体を見通すことができた。

 これは小股氏にとって貴重な経験であり,技術者が視野を広げることがいかに重要であるかを身をもって知る機会となった。「開発の全体が見通せるようになると,効率化のポイントや改善点が分かるようになる」。

 テレビ開発が一段落した後,ユニデンは北米市場向けの簡易型カーナビ(PND)への参入を図った。小股氏は,そのプロジェクトの開発リーダーを命じられた。社内にカーナビ開発の経験者がいないため,中途採用などによって50人ほどのメンバーが集められた。知らないことばかりで苦労しながら,2年ほどの開発期間を経て,ユニデンは2007年に400米ドル以下のPNDを北米で発売することができた。この商品はヒットし,出荷台数は1年で約2倍という勢いで伸びていた。

既存製品の開発に魅力はない

 だが,好調も長続きはしなかった。「リーマン・ショック」によって米国市場は一気に冷え込み,大手のカーナビ・メーカーが続々と値下げに踏み切ると,ユニデンのPNDは徐々に競争力を失っていった。

 景気低迷で赤字に転落したユニデンは,本業以外の不採算事業を縮小する決断をした。ついにPND事業部は解散ということになった。小股氏を含む同事業部の約50人が早期退職措置の対象となった。小股氏は自身が望めば,コードレス電話の開発部などに異動することも可能だった。

 しかし,「新しいことを次々に手掛けてその楽しさを知った今,既存商品の開発に戻るのは面白いだろうか」。結論は早々に出た。一から製品を作る方が絶対面白い。

 そうしてユニデンのカーナビ部門の仲間と一緒に,オムニビットを起業した。気心の知れた,優秀なメンバーをすぐに集めることができたことも起業のきっかけになった。オムニビットは,小規模の製品をスピーディーに作れることを売りに,大手とすみ分けていく狙いである。

 「視野を広く持ち,専門分野だけでなく開発の全体をよく見ること。また,この人にならこの分野を任せられると思わせる技術力と人間性を持つこと」。これが経験に裏打ちされた,小股氏の技術者へのメッセージである。

所属する部署の解散で転機が訪れた
所属する部署の解散で転機が訪れた