【前回より続く】

Last Minute in Australia

 エピソード2の技術面での目玉は,大手配給の映画で初めて,すべてをデジタルで撮影したことである。ソニーと米Panavision Inc.が撮影開始のわずか3カ月前に手作りで完成した,デジタルHDビデオ・カメラ「HDW-F 900」のプロトタイプを,全面的に採用した。技術の限界を押し広げてきたLucasfilm社の面目躍如たるところだ。

 エピソード2の撮影は,2000年6月にオーストラリアのシドニーにある米Twentieth Century Fox社のスタジオで始まった。Panavison社は,トラブルを未然に防ぐために,当時エンジニアだったRafael AdameとJames Pearmanをシドニーに送った。エピソード1~3の撮影監督,David Tattersalが,試作カメラで試し撮りするのを助けた二人だ。

 Rafaelによれば,試作カメラ用にPanavision社が開発したビューファインダは,オーストラリアに送る直前には,まだ完全に出来上がっていなかった。このビューファインダはフィルム・カメラのスタイルを踏襲し,本体の最後部に配置することになっていた。ところが出荷すべき時点でなお,Panavision社はビューファインダの機構面と格闘していた。結局,カメラはもともとのソニーのビューファインダが付いたままでオーストラリアに送られ,Panavision社は現場でビューファインダを取り付けざるを得なくなった。

 Rafaelは当時のことをよく覚えている。「月曜から撮影を始めるというのに,僕らは日曜になってもビューファインダの機構をいじってた」。テープでつないだ手作りのケーブルを作るために,Rafaelが何時間もかけてコネクタを,様々なタイプの同軸ケーブルや制御用,データ用のケーブルにつないでいたことを,ILM社のFred Meyersも覚えている。Rafaelは2種類の異なるケーブルに取り組んでいた。まず,カメラに内蔵したレコーダをバックアップするために,HDCAMフォーマットのソニーのデジタルVTR「HDW-F500」につなぐケーブルが必要だった。もう1つは,離れた場所からカメラを制御するリモート・コントロール用のケーブルだった。

 テレビ局用のHDビデオ・カメラを基にしているだけに,フィルムに慣れ親しんだ映画の撮影クルーにとって目新しいことばかりだった。ビデオ・カメラに必要な何百もの設定は,「ギリシャ語みたいにちんぷんかんぷんだった」(Fred)。リモート・コントロール用ケーブルの使い道の一つは,フィルムとビデオの常識の違いを吸収する「通訳」の役割を果たし,フィルムに慣れたクルーにも理解できるユーザー・インタフェースを提供することだった。

 Rafaelによれば,Panavision社のチームがオーストラリアに滞在している間,すべてがうまくいった。一つの例外を除いて。走り回る俳優をカメラが追い続け,ズーム・インとズーム・アウトを繰り返しているときだった。突然,カメラに付き添っていた技師が,カメラが発煙していると叫んだ。「僕らはFredと一緒にいて,モニタでカメラの映像を見ていたんだ。映像はすごく良かったから,彼が言っていることは信じられなかった」(Rafael)。技師が再び上げた叫び声を受けて,彼らは確認に向かった。煙を出していたのは,ズーム・レンズを動かすモータにつながった,電池のアダプタだった。アダプタから伸びたワイヤが焼き切れており,Panavison社のチームはアダプタの再設計を余儀なくされた。