ボトムアップで変える

――コミュニケーションの形が変わってくるからか。

 1万人になると、もう顔すら分からない。顔と名前が一致するのは100~150人くらいまで。1000人までは名前は分からないけど顔は分かる。それを超えたら、顔を見ても社員かどうか分からない。ホンダの場合、おやじの直弟子がいたから1000人を超えてもホンダの哲学を共有することができたが、それでも限界はある。

 2代目社長の河島喜好さんは、それを見抜いていた。河島さんはホンダの従業員が国内で1万人、海外を含めて4万~5万人になった時に、「ホンダ全体を上から改革することは無理だからやらない」と話している。その代わりに、課や部ごと、つまりみんなの顔が分かっている組織単位で変わっていくしかないというのである。

 全社で考えると対象が大きすぎて具体的な話ができない。それよりも、まず課が変わり、そこから新しいものをどんどん出していけばいい。結果が出ると、「すごいな。あそこを見習おう」という機運が出てくる。気付くと全体が変わり始めているというわけだ。

――ホンダは、MBAに代表される、近代的なマネジメント・システムを導入して、国際的な大企業にふさわしい体制を整備すべきだという指摘が多い。この指摘を考えると、その改革論は抽象的すぎないか。ホンダの場合、本田宗一郎みたいな天才がいて、それにじかに鍛えられた人たちが散らばってホンダを支える屋台骨になった。それは奇跡だ。奇跡に頼ったマネジメントよりも、より近代的なマネジメントにした方が、次なる成長に向けた土台を強固にできるのではないか。

 そう指摘する人が確かに多い。

 だが、ここではイノベーションの話をしているのだ。MBA的な経営を導入した企業で世界が驚くようなイノベーションを成功させたところがあるだろうか。MBAは実用性と実例を重視するのでオペレーション分野には非常に効果的だが、企業の核となる哲学にはつながりにくい。「三つの喜び」や「人間尊重」はMBAの発想からは出てこない。そして、イノベーションでは、その哲学や想いこそが重要なのだ。ホンダだってオペレーションの分野では、データを重視しそれをしっかり分析している。

 ルールを明確にして文書化し、その文書に基づいて効率的に経営する。こうした経営手法は一見合理的に思えるが、言葉にできないもの、つまり想いや熱気が伝わらない。「How to」は明確になるが、イノベーションで重要な「What(何を造るか)」と「Why(どんな想いに基づいて造りたいのか)」が抜けてしまう。おやじが真剣に話すときは、目をカッと見開いて相手の肩をつかみ、ゆすりながら、時に涙を浮かべていた。むき出しの想いが込められていた。想いとはこうして伝えるものなのだ。

 ここで先の質問に戻りたい。イノベーションの危機において、我々は何をすべきか。

 俺が強調したいことは、危機に立ち向かうには、まずプロジェクトチーム単位で、ボトムアップで変えていくしかないということだ。あなた自身がイノベーションの本質を理解し、上司や経営陣を説得しながらチーム単位で成果を生み出すしかない。

 「上が悪い」と愚痴を言っているだけでは何も始まらない。会社や上司の理解のない中で、イノベーションに挑戦し続けることは困難な道だが、決して不可能ではない。挑戦がなければ、イノベーションは一歩も進まないのである。

(聞き手は日経ものづくり編集部)

■出典:日経ものづくり,2012年3月号,pp.106-112を基に内容を追加(記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)