なんとか事の成り行きを聞き出した佐久間は,夕食の食材とともに,いつもよりも多くのビールを買い込んでホテルに戻ることにした。パソコンを立ち上げて検索すると,数え切れないほどの検索結果が次々と画面に表示された。

「確かに,これはすごい」

 佐久間は,日本から離れた地でおいしいビールを味わった。

テプラの次の柱を

 DM10を開発した立石と佐久間は,キングジムのヒット商品であるラベルライター「テプラ」の次の“柱”を生み出すことを期待されて中途入社した人材だった。

 電子文具分野でのヒット商品の開発は,キングジムの長年の悲願である。1988年発売のテプラは,5年後の1993年に累計販売台数100万台,1995年には200万台を達成した。テプラの発売から10年ほど経過したころ,次のヒット商品の模索が本格的に始まった。

「おまえに任せたぞ」

「え,私ですか? しかも一人で…」

 白羽の矢が立ったのは,テプラの開発にも携わった亀田だ。ただし開発チームは,法学部出身の亀田ただ一人。そこで亀田は,エンジニア出身者を採用することにした。

 “あなたの斬新な能力が今すぐにでも必要なのです”

 亀田が考えた求人広告が雑誌に掲載された。これを見て応募してきたのが,立石だった。立石はそれまで,厨房機器メーカーでプリント基板などの回路設計を手掛けてきた。入社して数年が経過し,機器の一部分だけではなく,全体を考えるような仕事をしたいと考えていたころだった。1998年1月,偶然にも立石の誕生日に面接が行われた。そして2003年に,オーディオ機器メーカーで回路設計をしていた佐久間が加わった。

立石氏が目にしたキングジムの求人広告。「テプラ」に続く,新しい電子文具を考える人材を募集していた。赤線は日経エレクトロニクスが追加。
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名コンビ誕生

 立石はキングジムに入社後,小型プリンターの「チャップリン」や,ラミネーターの「ピタ!ゴラス」といった新たな電子文具を次々と開発していった。ただし,その多くが既に社内で決まっていた開発案件であり,それらを立石が具体化するという受け身の状態が続いていた。「次は,一から自分で企画したい」。そんな気持ちが徐々に芽生えていく。

立石氏が開発に携わった小型プリンターの「チャップリン」(上の二つ)と,ラミネーターの「ピタ!ゴラス」(右)。
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