開発が決まったころのモックアップ。ボタンの数やキーボードの形状など細かい部分を除くと,最終製品とほとんど変わらない

 電話として使うなら液晶パネルは表に出したい。パソコンのような使い勝手を実現するためにはQWERTY配列のフル・キーボードが欲しい。ならばスライド式で収納しよう。無線LANも必要だろう。今どきカメラ機能がない携帯電話機はあり得ない,などなど――。いろいろな意見が出ては消え,コンセプトがおおむねまとまったのは2005年3月上旬だった。このコンセプトに対するウィルコムの意見を取り入れて,シャープは発想をさらに練り上げた。外観デザインまで含めた最終案が完成したのは4月上旬だった。

Windowsは譲れない

 最終案を見たウィルコムの須永はその完成度の高さに驚く。「完璧だった。厚さと重さを少し減らしてほしいと要望したくらいで,大きく直すところはなかった」。2005年4月中旬,ウィルコムから製品化に正式なゴーが出る。ただし,シャープにとって極めて厳しい条件が二つ付いていた。

 一つは発売時期。年末商戦に間に合わせるため2005年内の発売を要請された。「逆算すると残り8カ月しかない。ザウルスでも通常1年くらいはかける。8カ月は正直,厳しいと思った」(シャープの中川)。

 もう一つは「Windows Mobile」の採用である。須永がこだわったのがこの点だった。Windows MobileはMicrosoft社が開発する組み込み機器向けのOSである。Windows風のGUIを採用するほか,Microsoft WordやExcelと互換性のあるソフトウエアが付属する。「Windowsはパソコンの一つの象徴。モバイル・パソコンを夢見る人に,限りなく近いものを提供するなら選択肢はWindows Mobileしかないと思った」(ウィルコムの須永)。

 しかし,Windows Mobileの採用はシャープにとって頭痛の種だった。これまでLinuxを採用してきたザウルスで培った,既存のソフト資産がほとんど使えない。Windows Mobileのソフト開発の経験があるエンジニアもいない。それでなくても短い開発期間で,未経験のOSを使った製品開発が可能なのか。技術陣の山のような反発を中川らは何とか押し切った。「企画サイドはこの仕事をどうしてもやりたかった。だから技術陣には頭を下げて回った」(シャープの中川)。

 実はウィルコム側でも性急なスケジュールに疑問を持つ声は大きかった。通常,PHS端末は18カ月くらいの期間で開発する。8カ月はウィルコムの技術陣にも無茶に映った。須永に対し,「絶対に無理。間に合うなんてあり得ないから安心しろ」などと声を掛ける技術者もいたという。

Redmondに乗り込むしかない