ホンダが絶対価値を徹底的に重要視していることを強烈に示す“事件”を筆者は体験している。入社2年目の1972年に行われた技術報告会での出来事だ。筆者は、将来のホンダの安全戦略について、本田技術研究所で久米是志・ホンダ専務(当時。後の3代目ホンダ社長)に、先輩技術者と2人で報告することになった。3カ月かけて準備をし、15回リハーサルをして報告会に臨んだ。ホンダでは若い方がプレゼンテーションをする決まりなので、筆者が話すことになった。ところが、である。

 プレゼンが始まって数分。いきなり久米さんの顔つきが変わった。怒っている、いや激高している。しかし、なぜ怒っているのか分からない。何しろ、まだ報告はほとんど始まっていない。背景説明として、トヨタ自動車や日産自動車、米General Motors社、米Ford Motor社の取り組みの概要を説明し、「従ってホンダの戦略は…」と話しただけ。肝心のホンダの取り組みにまでたどり着いていないのだ。

 久米さんの怒りが一向に収まらないので、足がガクガク震えた。しかし、延々と続いたので、じっと聞いていると、久米さんの話の内容が少しずつ理解できるようになってきた。言いたいことはただ1つ。「他社の話なんて聞きたくない。それは相対的な話にすぎない。あんたは今、ホンダの安全の方向性を決めているんだ。そのときになぜ他社の顔色を見るのか。なぜ自分たちがこうなりたいと、絶対価値を言えないのか」ということだった。入社2年目の新米技術者に対して専務が気色ばんで真剣に怒ったのである。これが結局30分間続き、具体的な報告内容まで進めず、再報告になった。

 相対価値ではなく、「絶対価値の実現を目指す」と話すのは簡単だが、ここまで徹底的にこだわり、実際の行動に反映させないと、その意味を腹の底から理解したとはいえない。

 しかし、話はここで終わらなかった。すっかりしょげて所属していた安全研究室に帰ると、ちょうどマネジャーが外出先から戻ってきたところだった。

「今日の報告会はどうだった?」

「はい! 再報告になりました」

「どんな議論があったんだ?」

「議論はありません。背景を説明したら突然怒りだして、30分間説教されました」

 マネジャーの目の色が変わった。