前編より続く

内海(右下)は,Tandyブランドで国産の小型のコンピュータを多数世界に紹介した。写真は,ドイツのハノーバーで開催された展示会で,TRS-80シリーズを紹介した時の様子。ショーケース中央に収まっているのが「TRS-80 model 100」である。(写真:花井 智子)

「日本メーカーのコンピュータを,RadioShackを通じて世界で販売したい」─。
そう考えていたTandy RadioShackのバイヤー,内海信二。
1970年代末のある日,内海はつてを頼って,電卓開発で名高いシャープの佐々木正を訪ねた。

「日本製のコンピュータを,米国や欧州市場に紹介したいんです。何か,いいものはありませんか?」

 シャープの佐々木正のところへ相談に訪れた内海信二は,単刀直入にこう切り出した。内海は米Tandy社が米国などで展開していた小売りチェーン「Tandy RadioShack」のバイヤー(購買担当者)だった。1977年にRadioShackで販売が始まった家庭用コンピュータ「TRS-80 model 1」が大ヒットを飛ばすのを見た内海は,次はもっと小型で低価格のコンピュータが注目されると予想していたのだ。「電卓」を知り尽くした佐々木であれば,何かいいアイデアを持っているかもしれない。

 内海の話を黙って聞いていた佐々木は,おもむろに机の引き出しから小さな試作品を取り出した。

「あんたが欲しいのは,これか?」

シャープ元副社長の佐々木正氏。A&Aジャパンの創設者である山縣虔氏とも親交があった。90歳を超えた現在もなお現役。技術コンサルティングを行っている。

 それは,シャープが同社の関数電卓を基に開発した,BASICが動作するポケット・コンピュータ(ポケコン)だった。シャープは1980年に8ビットCPUのポケコン「PC-1210」を発売するが,佐々木が見せたのはその原型だったとみられる。

「電卓よりも高いし,コンピュータとしてはイマイチだ。果たして,売れるんかな」

 佐々木は半信半疑の様子だった。しかし,内海はこれに飛び付いた。

「ぜひ,ウチで扱わせてください。1年だけでもいいです。試験販売でも構いませんから」

 内海は,このポケコンはいけると踏んでいた。TRS-80 model 1は人気を集めてはいたが,価格がまだ高かった。ポケコンであれば,グンと低価格に設定できる。また,RadioShackの店頭にはコンピュータのマニア層も頻繁に訪れており,「手のひらサイズのコンピュータ」と銘打てば,人気が出るだろうと考えた。

今からそっちへ行くから

「そうか。そんなら,やってみようか」