前編より続く

 だが,豊田らが予想外の成功に酔う暇はなかった。その前年である1995年3月に,カシオ計算機の「QV-10」が登場していたからだ。QV-10は,業界で初めてデジタル・カメラに液晶ディスプレイを搭載した。撮影した画像をその場で楽しめるというその特徴が,デジタル・カメラの位置付けを変えた。パソコン・マニア向けから,一般ユーザー向けになったのだ。

「こんなものはビデオじゃない」

 豊田らは自社のデジタル・カメラを,より使いやすい一般ユーザー向けの商品に作り変えることを決意する。液晶ディスプレイの搭載はもちろん,パソコンとの連携も簡略化する必要があった。そこで1996年2月,社内でパソコン・マニアとして有名だった塩路昌宏(現・デジタルシステムカンパニー DI事業部 DI企画部 DI企画課 課長)を商品企画にスカウトした。塩路なら,パソコンと簡単に連携できる商品を生み出してくれるに違いない。

 しかし,豊田の期待は外れてしまう。塩路はパソコン・マニアでなければ使いこなせないような複雑な機能ばかりを提案した。その中の一つに,デジタル・カメラに動画機能を搭載するというアイデアがあった。デジタル・カメラに採用したASICにはもともと,複数の画像データを並べて1枚の写真のように見せる機能が入っていた。塩路はこの機能を利用し,パラパラ・マンガのような動画機能を実現しようと考えた。

 具体的には,0.1秒間隔で撮影した16枚の静止画を並べて1枚のVGA画像(640×480画素)を構成する。その画像をパソコンに取り込んで加工することで,1.6秒間の動画ファイルを作成する。解像度は160×120画素と低いものの,「静止画では伝わりにくい子供のちょっとした動きなどを記録する用途に使えそうだと考えた」(塩路)。

 こんな複雑な機能が一般ユーザーに受け入れられるわけがない─。豊田があきれる中,塩路はサンプル動画を作り,企画会議の場でこの機能を発表してしまう。予想通り,反対意見が相次いだ。「1.6秒間の映像を見るのに手間がかかりすぎる」「こんな画質では,天と地がひっくり返ってもビデオとは言えない」。会議のメンバーには長年8ミリ・ビデオを手掛けていた技術者が多かった。ビデオの画質に目が肥えた彼らを納得させることは,不可能に近かった。

 そんな中,「これ,面白いよ」と食い付いたのが,DVカメラの開発で辛酸をなめた伊藤だった。いつかデジタル・ビデオ・カメラでリベンジを果たしたいと考えていた伊藤にとって,塩路の提案は一筋の光明に見えたのである。伊藤は,反対する面々をなだめつつ,「面白いから,オマケ機能として入れてみようじゃないか」と説得を始めた。良いモノを作るには多少の遊び心も必要だと諭す伊藤の言葉に,メンバーも次第に折れていった。伊藤の熱心な説得は功を奏し,塩路の提案は1997年3月発売の「DSC-V1」に「16分割マルチ撮影機能」として搭載される。

「デジカメとは違うんです」

 16分割マルチ撮影機能は,予想通りと言うべきか,市場でも「オマケ機能」以上の評価を受けることはなかった。ただ,三洋電機社内の技術開発プロジェクトには少なからず影響を与えた。これをキッカケに,動画対応のASICを開発する全社プロジェクト「SSVC(solid state video camera)」が立ち上がったのである。それを陰で誘導したのも伊藤だった。プロジェクトのテーマを選定する会議の際,伊藤は塩路の提案を引き合いに出しながら,「今後はソリッド・ステート(半導体素子)で動画を記録する技術が必須になる」と主張した。