その後,開発は一気に加速し,1996年10月,ついにそのプリンタの発表会を迎えることになる(図3)。機種名は「PM-700C」。PMとは,「Photo Mach Jet」の略である。それまで同社のプリンタで代々使ってきた「MJ(Mach Jet)」という呼び名をやめ,あえて「写真画質」を強調する名前に替えた。「Photo」という言葉を製品名に付けても恥ずかしくないプリンタが,ついに完成したのだ。
「本当は写真じゃないのか」
写真画質へのこだわりは,それだけではなかった。新たに開発し,写真に近い手触りや紙質を実現した専用紙の裏面には,「EPSON」という名前を写真の裏面と同じように模様として入れた。当時のようすを開発者の一人,碓井稔氏はこう語る(図4)。
――発表会にきた記者のなかには「これじゃあ,写真と見間違える」とか「本当は写真じゃないのか」なんて言っている人もいたほどです。写真ではないというのを説明するのが大変やら,うれしいやらで…。ただ,こうした反応を見て「このプリンタは絶対売れる。いけるぞ」って確信しました。
個人的には,とてもバランスの取れたプリンタだったと思います。価格はそれまでと同じ5万9800円でしたし,カラー画像はもちろんモノクロ画像もいい。かといって,これらを実現するために何かの機能を犠牲にしたわけでもない。
ただ,ちょっと心配だったのは,当時はまだディジ・カメなどがそれほど普及していなくてね。印刷する画像データ自体が不足していた。
でも,このプリンタで印刷したサンプル画像を見れば「画像データを自分で作り出してでも,何かを打ち出してみたい」という気持ちが起こってくると思うんです。そんなプリンタって,当時なかったでしょ。自分で言うのもなんですが,「これなら自分で買ってもいい」って思いましたね。
生産が追い付かない
実際,「PM-700C」の発売後,ウチのプリンタ生産工場はすぐフル稼働状態になった。とにかく,すごかった。年末には大量の受注残があるにもかかわらず,さらに次々と受注が舞い込んでくる。1機種だけで4割程度のシェアを占めたころには,月産10万台規模になったほどです。