前編より続く

 発表と同時に,ミューチップの営業部門には電話や電子メールなどで問い合わせが殺到した。食品の産地を示すラベルの偽造事件や医療過誤などが世間で注目を集めていたことが拍車を掛けた。

コストが壁に

 宇佐美を筆頭とするミューチップの開発陣が真っ先に取り組んだ鋼材の管理システムも,問い合わせから生まれたものだ。ミューチップの開発を伝える新聞記事を海外出張に行く飛行機の中で読んだ顧客が,出張から戻ると同時に連絡してきたことが発端だ。

 問い合わせをあらためて整理してみると,ミューチップの開発陣や営業チームが想定していたものをはるかに上回るさまざまな用途提案があることが明らかになった。

 例えば玄関や店先の足ふきマットのリース業者。ミューチップを埋め込んで管理に役立てたいという。用途としては有望だが,大きな課題があった。毎日人に踏まれるだけに,チップの強度が問題になった。特に頭を悩ませたのはハイヒールの存在。狭い面積に力が加わるだけに,ミューチップにとっては大きな試練となる。営業チームは開発陣の協力を得て,耐久性を確かめざるを得なかった。このほか「ユニホームに縫い込みたい」という要望に応えるために,洗濯やアイロンがけに対する耐久性も試験しなければならなかった。

浅井彰二郎氏(日立メディコ執行役専務経営戦略統括本部長)。日立製作所の常務研究開発本部長だった時に,ミューチップの研究開発を支えた。
浅井彰二郎氏(日立メディコ執行役専務経営戦略統括本部長)。日立製作所の常務研究開発本部長だった時に,ミューチップの研究開発を支えた。

 営業に回らずとも顧客が次々に問い合わせてくれるという状況に,井村たちはうれしい悲鳴を上げていた。だが,ミューチップの事業を軌道に乗せられるかどうかについては1つの悩みがあった。量産ラインへの投資を短期間で回収できるほどの大口顧客を獲得していなかったことである。これさえできれば,比較的少量のミューチップを必要とする顧客に対しても,安価で提供できるようになる。

 井村が目を付けたのは,2005年3月に愛知県で開催される「愛・地球博(愛知万博)」の入場券だった。この受注さえ取れれば,ミューチップの事業が回りだすのは確実だ。

 2001年3月。愛知万博を主催する日本国際博覧会協会が入場券の偽造防止技術を募集しているのを知るや否や,井村は協会のある名古屋に向かった。

「弊社の開発したミューチップを使えば,入場券の偽造はほぼ不可能になります」

 協会の担当者を前に,井村はミューチップの利点を説明する。ひと通り説明を終えると,担当者が口を開いた。

「コストはほかの技術と比べてどうなんですか」

 これこそ井村が最も恐れていた質問だった。いくら0.4mm角のチップといえども,印刷で済む2次元バーコードや磁気カードに比べたら,コスト面で太刀打ちできないことは明白だったのだ。担当者が納得する説明ができないまま,井村は協会を後にせざるを得なかった。

 案の定,しばらくたっても協会から連絡は来なかった。ダメもとでその後も何度か協会に出向くが,色よい反応はない。「やはりダメか…」。営業チームにあきらめのムードが漂う。

交渉の席を立つ

 入場券の偽造防止技術の選考は2002年秋。井村はそれを目前にして,もう一度,博覧会協会を訪れた。これまでに何度もアピールしたミューチップの利点を,念を押すように再度説明する。すると担当者からも,いつも通りの反応が返ってきた。