前編より続く

 チップの両面に電極を配した両面電極型ミューチップを,2003年2月に米国サンフランシスコで開かれた半導体の国際学会「International Solid-State Circuits Conference(ISSCC)」で発表した日立製作所の宇佐美光雄。正直に言って,会場での反響は思ったほど大きくなかった。発表日の夕方に大広間で開かれた,参加者が発表者を取り囲む催しでも,宇佐美の周りにはそれほど人は集まらない。そんなときでも悲観的にならないのが宇佐美の持ち味だ。

「ミューチップのすごさを分かる人が世の中にはまだ少ないってことだ」

 そんなふうに考えることにした。それよりも気掛かりなのは,渡米する数日前に研究室に届いたアンテナ内蔵型ミューチップの試作品のことだった。ISSCCでの発表があるため検証実験もそこそこに,後ろ髪を引かれる思いでサンフランシスコまで来たのだった。

アンテナ内蔵型が実用可能に

 発表を終えた宇佐美は,すぐさま日本に取って返す。研究室には試作チップが待っていた。早速,検証に取り掛かる。新しいアンテナ内蔵型ミューチップは,それまでのアンテナ内蔵型に比べて通信距離を延ばすことを目的に開発した。以前開発したアンテナ内蔵型の通信距離はたったの0.3mmしかなく,アプリケーションが極めて限定されてしまっていた。

アンテナ内蔵型ミューチップ。0.4mm角のチップ上にAuメッキ技術でアンテナを形成した。
アンテナ内蔵型ミューチップ。0.4mm角のチップ上にAuメッキ技術でアンテナを形成した。

 新型チップは,Au(金)メッキ技術によってアンテナのパターンをチップ上に描いたもの。Al(アルミニウム)を使っていたこれまでのアンテナに比べて,厚みを稼げる分,感度が高いはずだった。

 読み取り装置に試作チップを近付けていき,どれくらいの距離で通信が可能かを確かめる。1cm,5mm,3mm,2mm…。そして試作チップと読み取り装置の距離が1mmになった時,読み取り装置につないだ測定器が反応した。

「やった。読み取れたぞ」

 アンテナを外付けするタイプのミューチップの通信距離が30cm~40cmであることを考えると,1mmという通信距離はあまりにも短いように感じる。でも,たった0.4mm角のチップに組み込んだアンテナを使って通信していることを思えば,1mmという距離は十分納得できるものだった。発想を変えれば,読み取り装置に触れるほど近付けなければ通信できないという特性を,利点とすることもできる。悪意のある第三者が,離れたところからミューチップに書き込まれた情報を読み出すことを防げるからだ。そして何よりもアンテナを外付けする必要がないことが,ミューチップのコストを抑える上で大きな役割を果たす。

量産ラインが立ち上がる

 宇佐美がAuを使ったアンテナ内蔵型ミューチップの試作に成功したころ,日立製作所のミューチップ事業は大きな転換期を迎えていた。青森にある関連会社の工場で,とある大口顧客に向けたアンテナ外付け型ミューチップの量産が始まったのだ。2003年3月のことである。生産規模は月産100万個と全く新しいチップの量産としては異例の大きさだった。