富士写真フイルムが大ヒットさせたディジタル・スチル・カメラ「FinePix700」の開発物語。本体が小さいだけでなく,民生用のディジカメとして初めて150万画素のCCDを搭載した。他社に先駆けた,そのCCDの開発には,こんな紆余曲折うよきょくせつがあった。

図1 小西正弘氏
現在は電子映像事業部 設計部 課長。セット開発に従事し,CCDの選択などを担当してきたため,他社のCCD開発動向に明るい。150万画素ディジカメの開発開始当時は主任だった。(写真:新関雅士)

 「えー,そういうわけで,富士フイルムマイクロデバイスに次世代CCDの開発・製造を委託したいと思います」

 小西正弘氏は会議室の隅っこで,CCD開発担当である乾谷正史氏のプレゼンテーションに聞き入っていた。彼はディジカメ(ディジタル・スチル・カメラ)の設計担当者として,上司の代理でこの会議に出席していたのである。

 すでに会議は中盤に差しかかっていた。そつなくプレゼンテーションを終えた乾谷氏は,安堵の表情を漂わせながら席に戻っていく。その姿を目で追いながら,小西氏は拭い切れない疑問を自分のなかで持て余していた。「これまでの流れでいえば,確かにこうなるよな。でも,本当にこれでいいのだろうか」。

 ときは1996年3月1日,場所は東京,飯田橋にある富士フイルムマイクロデバイス。うなぎの寝床のような細長い一室で,ディジカメの開発を担当する富士写真フイルムの電子映像事業部と,同社の半導体製造子会社である富士フイルムマイクロデバイスが,2年後に発売する製品に使う150万画素CCDについて話し合っていた。

図2 乾谷正史氏
電子映像事業部 開発部 技術主席。主にCCD型固体撮像素子の開発を手掛ける。開発部は富士フイルムマイクロデバイスと共同でCCDや信号処理LSIを開発する部署であるため,150万画素CCDの開発については同社への委託を推していた。(写真:福田一郎)

 このCCDを搭載するカメラが,後に「FinePix700」と名付けられ,まだディジカメのメーカとしては無名に近かった富士写真フイルムを,一躍トップ・メーカに押し上げる立役者になる。だが彼らは,まだその結末を知らない。

5年目の好機

 そもそもこの会議は,新機種に搭載するCCDの開発・製造を富士フイルムマイクロデバイスへ委託するべきか否かを問うことを目的としていた。とはいえ,こうした会議では通常,委託の是非はもちろん,委託内容まで担当者同士の打ち合わせで内定済み。会議は儀式のように淡々と進行するのが常だ。ご多分に漏れず,この日の会議も滞りなく進行していった。