前回から続く)

 ――1995年9月。三菱電機はMISTYの広報発表を無事に終える。DESの解読を発表した時のように,回りくどい表現はしなかった。「DESをしのぐ強力な暗号方式を開発」と胸を張って主張した。MISTYを核にした事業を立ち上げるという大仕事を前に,部員達はつかの間の喜びに浸った。

どうせなら業界標準

 大船の街に夜のとばりが降りても,三菱電機の研究棟からはこうこうと光が漏れていた。夜通し作業を続ける暗号研究チームの居室の電話が鳴る。受話器を取った山岸の表情が,にわかに引き締まった。

 「センター長ですね。ちょっとお待ちください」

 受話器を手でふさぎ,辺りをせわしなく見回す。

 「竹田さーん,電話ですよー。え,席外してるの。弱ったなー。ノマさんからなんだけどさ。うーん,まいっちゃったなぁ」

竹田栄作(たけだ・えいさく)氏
竹田栄作(たけだ・えいさく)氏
三菱電機が「情報セキュリティシステム開発センター」を創設するのと同時に,センター長に就任する。1995年6月のことである。以来,先頭に立って同社の情報セキュリティ事業の立ち上げに奔走する。同センターは1996年4月,「情報セキュリティ技術部」に名称が変わるが,引き続き部長として統括した。 2002年4月からは,日本情報セキュリティ認証機構でIS認証部 主席を務める。日本情報セキュリティ認証機構は,情報セキュリティの管理システムに関する英国規格「BS7799」の認証取得事業を手掛ける企業である。(写真:福田一郎)

 電話の主は研究所長の野間口有である。現在は三菱電機の社長を務める野間口は,当時,再編後の最初の研究所長として手腕を振るっていた。野間口が呼び出したのは,山岸の直属の上司である竹田栄作。6月に設立された情報セキュリティシステム開発センターのセンター長だ。実は,同センター設立を画策した張本人が野間口だった。

 この時期,野間口は竹田に頻繁に電話をかけた。自身の肝いりのプロジェクトを託した竹田に,発破を掛けるためである。対する竹田は,一向に歯切れのいい返事ができなかった。おっとりした口振りで厳しい意見を吐く野間口に,冷や冷やさせられっ放しだった。色よい答えを返せなかったのは,今から思えば無理もない。何しろ,何の実績もなかったMISTYを,業界標準の座に据えろというのだから。

 竹田は,長い間コンピュータ関連の事業部で,コンパイラの開発を手掛けてきた。研究所に移りビデオ・オン・デマンドの事業化にかかわった後,情報セキュリティシステム開発センターを任された。

 今でも思い出すのは,就任早々に愕然がくぜんとしたことである。暗号を突破口に情報セキュリティ事業を立ち上げろと言われたのに,暗号研究のチームは,顧客に売れるようなものをほとんど持っていなかったのだ。直後にMISTYという切り札が生まれたものの,野間口は,自社で使うだけでなく業界標準に育て上げろという。暗号については全くの素人で,営業の経験が豊富なわけでもない竹田は,正直戸惑っていた。