その成果,発表できません

 ところが,である。広報部門からは,全く予期せぬ反応が返ってきた。広報発表は許可しないというのだ。到底納得できない山岸は,部長とともに本社の広報部門へ乗り込んだ。

「一体どうして駄目なんですか! 分かってますか? 世界にも類のない成果ですよ,これは」

「うーん。そうはいっても,この内容ではねぇ…」

 話をよくよく聞いてみると,広報部門が発表を渋る理由が見えてきた。確かに暗号の世界では,目覚ましい成果なのかもしれない。しかし,電機メーカーの立場として,世の中に訴求できるポイントはどこにあるのか。松井の研究成果であるDESの解読は,新たな製品を生み出すことはないし,自社のコンピュータの処理能力を誇示できるわけでもない。

 何よりも,暗号解読という行為自体が問題視された。通信の秘密を守る暗号を破ったことが,世間一般に悪い印象を与えかねないというのだ。インターネットで暗号解読コンテストまで開催される現在であれば,広報部門の対応も違っていただろう。しかし当時は,世間の暗号に対する認知度は驚くほど低かった。

 なるほど,広報部門の言うことにも一理ある。山岸は矛を収めるしかなかった。幸い広報部門は,研究としての価値は認めてくれている。何とか形を変えてでも,発表する方法はないだろうか。

正月休みにもかかわらず

 誰もいない社内。松井と山岸は,2人でキーボードをたたいていた。1994年を迎えてすぐのことである。正月休み中だというのに出社し,2人は発表文の素案を練っていた。

「ここ,こんなふうに表現すればいいんじゃない?」

「でも,それでは内容が大きく変わってしまいます。納得いきません」

 広報部門と相談の末,暗号の解読を前面に押し出すことはあきらめた。その代わりに「暗号の安全性の評価技術を開発」という,いささか回りくどい文言でアピールすることにした。暗号の解読に必要な計算量を算出することで,その暗号の安全性を評価できる技術を開発したという内容である。

 この制約の枠内で,松井と山岸は,DESの解読に成功した事実の片鱗を少しでも盛り込もうと腐心した。なるべく直接的な表現は避け,素案にはDESの安全性の評価実験を行ったと書いた。実験の結果,243個の情報を暗号化するたびに秘密鍵を変更しなければ問題があると指摘した。  =敬称略

―― 次回へ続く ――