COLLEGE 製造業の“本当”を探求
 

第3回:試作が決まり,メーカーに連絡が入る

白倉 資大
2009/08/11 00:00
出典:日経エレクトロニクス、2002年9月23日号 、pp.243-247 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)
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(前回から続く)

 1997年8月。後に「iモード」と呼ばれるサービスは,アイデアの域を脱し,目に見える形を表し始めた。

 8月1日。NTTドコモは携帯電話機向けのコンテンツの企画開発を手掛ける「ゲートウェイビジネス部」を新設する。データ通信事業を推進するための新部署「モバイルコンピューティング推進本部」の一部という位置付けである。総勢150人の推進本部中,わずか20人が所属する小所帯だ。それでも同部を率いる榎啓一にとっては願ってもない援軍だった。携帯電話機向けのコンテンツ配信サービスを立ち上げようと孤立無援で奮闘してきた榎に対し,ようやく専属の部下があてがわれたのだ。リクルートから転身した松永真理を筆頭に,やる気にあふれた気鋭の人材が顔をそろえた。

 8月8日。NTTドコモは,携帯電話を使ったパケット通信サービス「DoPa(Docomo Packet)」をインターネット接続に利用できるように拡張した。いわばNTTドコモがプロバイダーとなって,携帯電話網経由でユーザーをインターネットにつなげるサービスである。携帯電話へコンテンツを送り届けるインフラの基礎が,早くも実用段階に突入したわけだ。

 コンテンツを表示する端末も,実現への青写真が描かれた。端末の設計に責任を持つNTTドコモ 移動機技術部 主幹技師の永田清人は,ACCESSのブラウザの採用を決め,試作機の開発を承諾する。永田が所属する移動機技術部は,ゲートウェイビジネス部と話し合い,パケット方式の採用で意見の一致を見た。試作を持ち掛ける先として,DoPa対応の携帯電話機を製造した松下通信工業とNECが挙がったのは,ごく自然の成り行きだった。

いよいよ動き出す

「へぇ。ACCESSを使うんだ」

加藤淳展氏
松下通信工業 パーソナルコミュニケーション事業部 開発技術部 ソフトウェア2課 係長(主事)(当時)の加藤淳展氏
(写真:周慧)

 1997年8月上旬。松下通信工業 パーソナルコミュニケーション事業部 開発技術部 ソフトウェア2課 係長(主事)の加藤淳展は上司に呼び出された。NTTドコモ 移動機技術部から入った依頼に対応しろという。8月22日に,携帯電話機向けのブラウザを開発したACCESSと3社で会う機会を設けたいとのことだった。加藤はACCESSという会社があることを聞きかじっていた。ワープロやテレビ受像機向けのWWWブラウザで実績のある会社らしい。

 加藤の担当は携帯電話機のソフトウエア開発の取りまとめである。当時,携帯電話機で業界のトップ・シェアを走っていた松下通信工業の中でも,ひときわやりがいを感じる立場だ。折しも1カ月前の7月に同社は携帯電話機の累計出荷台数1000万台に一番乗りしたばかりだった。出せば売れる状況の中で,NTTドコモからの依頼はさして珍しくなかった。

 上司によると,ブラウザを載せた携帯電話機を試作してほしいという話らしい。そう聞いても加藤はさほど驚かなかった。2カ月ほど前から,永田をはじめとする移動機技術部のメンバーから,同様の企画をにおわせるヒアリングを何度か受けていたからだった。ブラウザを搭載するために用意できるメモリ容量は最大どのくらいか。マイクロプロセサの処理能力はどこまで高められるのか。こうした具体的な質問に対して,ヒアリングの場や電子メールで回答する機会が日を追うごとに増えていた。

 実は,松下通信工業の内部でも,携帯電話機向けのブラウザについて検討が始まっていた。俎上に載せたのは米Unwired Planet,Inc.(UP社)が売り込み攻勢をかけるHDML言語のブラウザだ。欧州向けのGSM方式の携帯電話機に使えないかと,UP社のブラウザとサーバの技術を調査していた。

 こうした動きの只中で,加藤は時代の流れを感じていた。NTTドコモからの依頼は,加藤には半ば当然に思えた。

ACCESSって,米国企業?

西山耕平氏
NEC 第三パーソナルC&C事業本部 モバイルコミュニケーション事業部 第二基礎開発部 技術課長(当時)の西山耕平氏
(写真:栗原克己)

 同じころ,NEC 第三パーソナルC&C事業本部 モバイルコミュニケーション事業部 第二基礎開発部 技術課長の西山耕平は,上司からNTTドコモ向けの新しい開発案件への対応を命じられる。NTTドコモの移動機技術部からの依頼が,巡り巡って西山の部門に割り振られたのだった。

 当時,西山の業務は携帯電話機の開発ではなかった。西山が所属する部隊の使命は,通信技術を使った新しい分野の機器の開発である。米Motorola,Inc.の双方向ポケベル・サービス「ReFLEX」向けの端末を手掛けたり,ボイス・メールを圧縮してデータ通信網で送る仕組みを構想するなど,常に新しいビジネスの種を追い求めていた。反面,携帯電話機の開発に携わったことはなく, NTTドコモの移動機技術部との接点は皆無に等しかった。

「ACCESSってシリコンバレーの企業ですか?」

 上司から概要を聞いた西山は,おもむろに尋ね返した。全く聞き覚えのない社名だ。西山の頭に一抹の不安が去来する。以前,シリコンバレーのソフトウエア開発企業に,仕事を依頼したことがあった。納期の遅れやバグ取りに悩まされ,海外企業との共同開発の難しさが骨の髄まで染みていた。ACCESSは日本の会社であると聞き,西山はひとまず胸をなで下ろす。

「でも,携帯電話でどうやってWebサイトを見るんですか?」

 西山は,それを可能にする試作機を自分で作るのだと知りながら,思わずこう聞いてしまった。当時の携帯電話機のディスプレイといえば,せいぜい横7文字の文章を2行くらいしか映せない。電話番号や名前の表示しかできない画面で,一体何を見せようというのか。西山にはまるで想像できなかった。

なるほどね。そういう感じかぁ

 8月22日。NTTドコモからの指示に従って松下通信工業の加藤は,神奈川県の三浦半島にある横須賀リサーチパーク(YRP)を訪れた。緑が濃い山間の研究所で,加藤は永田に紹介され,ACCESSの取締役副社長 研究開発担当の鎌田富久と初めて出会った。

「頭の良さそうな人だなぁ」
 鎌田の立居振舞を見て加藤は思った。
「通信方式はDoPaの『シングルスロット』,つまり9600bpsでインターネットに接続します」

 移動機技術部の担当者が今回の開発の主旨説明を始めた。既に大まかなサービスの概要や通信の暫定仕様は固まっていた。想定するマイクロプロセサの機種やメモリ容量,画面に表示する文字数と行数など,Compact NetFront Browserの要求仕様を鎌田が補足する。

「なるほどね。そういう感じかぁ」
 加藤はその一つ一つにうなずき,要点を書き留める。

 鎌田の話が一段落すると,永田が割って入った。

「今後の日程ですが,まずは以上の条件を満たす試作ブラウザの詳細仕様を来月中に固めて下さい。その後,年度末の3月をメドにブレッド・ボードを試作して,来年の6月ころにはサーバとセットで交換対向試験までやりたいと考えてます。結構ギリギリのスケジュールですけど,これを守らないとかなり厳しいことになる。1998年冬のボーナス・シーズンに端末を発売できないとまずいですから」

「なるほど,来月ですか」

 加藤はスケジュール帳をめくる。

 加藤は,1カ月というスケジュールがいかにむちゃな要求であるか,この時点では理解していなかった。当日NTTドコモから説明された仕様は,これから詰めていく用件を大まかになぞったものにすぎなかった。その数百倍もの約束事をACCESSと協力して決めていかなければならないことを,後に加藤は痛いほど知ることになる。

同じ日,別の場所で

 8月22日。この日に永田が接触したメーカーは1社ではなかった。所は変わってNTTドコモの本社がある東京・虎ノ門の新日鉱ビル。NECの西山は上司に言われたまま,永田のお膝元に駆け付けた。

「今回のサービスでは,最低でも8×6文字くらいは出したいと思ってるんですよ。それにはかなり大きな液晶パネルを使わなければならないでしょう。正直なところ,御社で頑張って実現できる横と縦のドット数はどのくらいですか?」

 永田は初対面の西山に遠慮することなく,次々と難題を投げ掛けた。画面に表示できそうな文字数,フォントのサイズ,液晶パネルの実装面積など,西山は可能な範囲で答えたが,残りは会社に持ち帰らざるを得なかった。

「ボードの試作を3月くらいまでに終えて,来年の半ばには交換対向試験に入っていただきたいですね」

白山通り

 永田のひと言に,メモを取る西山の手が止まった。もう8月も終わりに近い。まだACCESSの人間と会ってもいなかった。すぐにでも試作用ボードの開発に入らなくてはならない。何よりも液晶パネルのドライバICの開発が急務だな。西山の頭には,検討すべき項目のリストが理路整然と浮かび上がってきた。

電池が切れますよ

「ごちそうさん」

 加藤は同僚を引き連れ,水道橋駅にほど近い「かつ吉」ののれんを後にした。少々高いが,おいしいトンカツで有名な店である。1997年9月に入り,加藤は東京・水道橋に本社を構えるACCESSに週に1度のペースで足を運んでいた。この店にももう何度か通っている。

「それにしても暑いなー」

 加藤はジリジリと照りつける陽光を手で隠しながら,滝のような汗をハンカチでぬぐう。9月とはいえ,相変わらず日中は暑い。日影を探しながら,加藤ら一行は白山通りに沿って進む。松下通信工業がある横浜市都筑区から水道橋のACCESSまでは電車で1時間近い道のりだ。通うだけで随分体力を奪われる。

「いつも来ていただいてすみません。本当はウチが行くべきでしょうけど。どうにも人手不足で」

 こう言って加藤を出迎えるのは,ACCESSで開発の実務を担当する大城明子と笛木一正だ。

「いえ,とんでもない。こちらこそ何度も押しかけまして…」

大城明子氏
ACCESSの開発実務担当者(当時)の大城明子氏
(写真:的野弘路)

 加藤はあいさつも早々に席に着いた。今日も決めて帰らないといけないことがうんざりするほどある。既にハードウエアの設計部門はブレッド・ボードの試作準備を進めていた。早急に仕様を固めなければ,ソフトウエアの開発に着手する時期がずれてしまう。

 加藤が大城,笛木と議論していたのは,ブラウザが利用するインタフェースの仕様である。携帯電話機が備える液晶パネルやキーボードといったハードウエアをブラウザから制御するための命令群だ。例えば,液晶パネルに線や文字を表示する命令や,特定のボタンが押されたことをブラウザに伝える命令などである。これらをデバイス・ドライバの上位に位置するミドルウエアとして実装する計画だった。

 NTTドコモは,ミドルウエアを作るための仕様書を用意していた。しかし,この仕様書に記されていたのは表示すべき文字数や行数といった極めて基本的な枠組みだけだった。それ以上の細部はACCESSとメーカーが検討して,決定事項をNTTドコモに後から連絡する段取りである。

笛木一正氏
ACCESSの開発実務担当者(当時)の笛木一正氏
(写真:栗原克己)

 実際には,決めなければならない項目は山のようにあった。ユーザーからのキー入力を検出する方法一つを取っても,一定周期で能動的にチェックするやり方もあれば,入力が来るまで処理を休止させる手法も利用できる。多様な選択肢の中から一体何を選べばいいのか。ソフトウエアの基本アーキテクチャから特殊なケースの扱いまで,さまざまな場合について決断を下さねばならなかった。

「そんなに何度も命令を呼びに行ったら,電池がすぐ切れちゃいますよ」

 加藤が一番気を配ったのは,消費電力の問題だった。携帯電話機に搭載できる電池の容量には限界がある。ソフトウエアの実装を一歩誤ると,限りある容量を瞬く間に使い果たしてしまう。議論は微に入り細をうがち,いつ終わるとも知れず何時間も続いた。

 話し合いが終わっても,ゆっくりとお茶を飲むことすらできなかった。大城や笛木はすぐにブラウザの設計変更に入る。加藤もこのまま,会社に戻らずにNTTドコモに向かうことになっていた。

専門家を呼んで下さい

 加藤のもう一つの仕事は,携帯電話機とサーバの間の通信プロトコルをNTTドコモと検討することだった。NTTドコモとの打ち合わせは週に2度~3度の頻度で開かれた。

 こと通信に関する限り,NTTドコモは強力なリーダーシップを発揮した。ただし,インターネットやWWWの世界は同社にとっても未知の領域だった。仕様のこまごました点について,加藤は逐一意見を求められる。例えば電子メールを読む場合に,WWWサーバに格納した電子メールをブラウザで閲覧する仕組みにするのか,それともメールを一度携帯電話機に保存してから読む仕組みがよいのかといった具合だ。

 加藤は,これまで何機種もの携帯電話機を開発してきたプロフェッショナルである。しかし,インターネット経由でサーバとデータをやりとりするプロトコルについては,全くの門外漢だった。「TCP/IP」や「HTTP」といった言葉を聞いたことはあっても,携帯電話機向けに,どのように改良したらいいかと問われると,いつも答えに窮していた。

 たまりかねた加藤は,会社の上司に直訴する。データ通信プロトコルの専門家を1人,研究所から呼んでほしいと。

「東京に行って欲しいんやけど」

 1997年10月末。大阪・西三荘にある松下電器産業の研究所で,マルチメディア開発センター 情報グループ 情報第3チーム 主席技師(副参事)の田中康宣はなじみのある人物を見掛けた。

「あれ? 脇さんや」

 上司の元を訪れていたのは,パーソナルコミュニケーション事業部 国内技術部 部長の脇治だった。東京からわざわざ何しに来たんやろ。そう思う田中にこそ脇が来た理由があることを,当の本人は知る由もなかった。

田中康宣氏
松下電器産業 マルチメディア開発センター 情報グループ 情報第3チーム 主席技師(副参事)(当時)の田中康宣氏
(写真:周慧)

 田中は上司に呼び出された。

「来週から,しばらく東京に行ってほしいんやけど」
 上司は田中を見るなりこう言った。

「は。何ですか。来週って。出張ってことですか」

「いや,ちょっとしばらくあっちにいてもらうことになりそうなんや。何でも,携帯電話にインターネットのブラウザを載せる話があるらしい。ドコモさんがいろいろ考えてるようなんや。そんでな,東京でデータ通信の専門家を欲しがっとる。それなら田中君が一番や。悪いけど一肌脱いでくれんか。これからはデジタル家電の時代や。きっとおもろい話になるぞ」

「……」

 田中の頭は真っ白で返す言葉もない。

 田中は,携帯端末間で情報をやりとりするための通信スクリプト言語の研究開発を担当していた。文字を受信できるページャの急激な普及を当て込んで,低速の通信回線で大量の文字情報を送れる通信技術を目指していた。

 田中はこれまでPHS回線を使った構内無線LANシステムの開発やPHS通信カード,PHSを使ったテレビ電話端末の試作なども担当してきた。松下通信工業とは仕事上のつながりがあった。そんな田中に白羽の矢が立ったのは,当然といえば当然だった。

「ちょうど明日から休みやろ。土日で荷物まとめて月曜に新幹線乗って,向こうに顔出してや。向こうの段取りは脇部長がやってくれるはずや。何も心配なことあらへん」

「……」

「あのな。ACCESSって知ってるか?」
「…ええ,テレビとかPDAのブラウザなんかやってるとこですよね」

「携帯電話でもええもん作ったらしいで。学ぶところもきっとあるやろ。他のメーカーに負けへんケータイ作ってや」

 こう言って上司はポンと田中の肩をたたく。田中の顔は,緊張と期待が入り混じって紅潮していた。

=敬称略

―― 次回へ続く ――

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