COLLEGE 製造業の“本当”を探求
 

第2回:画面上で小さなブラウザが動いた

白倉 資大
2009/08/10 00:00
出典:日経エレクトロニクス、2002年9月9日号 、pp.203-207 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)
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(前回から続く)
打ち合わせメモ
(写真:栗原克己)

「ほぉー」

 ノート・パソコンのディスプレイに映ったブラウザを見て,同席者から感嘆の声が漏れた。1997年7月22日。ACCESSの取締役 副社長 研究開発担当の鎌田富久はこの瞬間を待っていた。

「小型情報機器向けCompact NetFront Browser」と題した提案書を,NTTドコモに持ち込んだのが6月25日。携帯電話機にWWWブラウザが載ると自信満々で主張する鎌田に,渋い表情を見せたのがNTTドコモ 移動機技術部 主幹技師の永田清人だった。あれから1カ月。自分の話を全く信用しない永田に,試作版を手にした鎌田が再び挑戦するときが来た。

「小さい画面ですので,少し見づらいですが…」

 こう話す鎌田の正面に座った永田は,一見すると不機嫌な面持ちで,少し身を乗り出してディスプレイを見つめる。細くて長い会議室には20人近い同席者が集まっていた。自然に1人,2人と椅子から立ち上がり,小さなノート・パソコンの前に鈴なりになった。

メインメニュー
(写真:後藤光一)

 画面には「Main MENU」とある。その下にメールやスポーツ情報,天気といったメニューが並ぶ。カーソル・キーで一つひとつメニューを選びながら,鎌田は想定するコンテンツや,サンプルとして用意したGIF画像などを見せる。

「では,もっと深い階層まで行きます」

 鎌田は手を伸ばし,ファンクション・キーや数字キーを押して次々と画面を切り替えていく。メール画面を表示し,あらかじめ入力したメールの文章をスクロールさせる。F1キーを押して画面を1つ前に戻す。一連の動作を繰り返しながら,鎌田は永田の表情を伺う。鎌田の目には明らかに永田が画面に引き込まれていく様子が映った。

メール画面
(写真:後藤光一)

「よし。いけるぞ」
 鎌田の血が躍った。

「へぇ,本当に動くんだ」

 永田は心の中で思わずこうつぶやいた。鎌田の1度目の提案から想像していたよりも,ずっと良い出来栄えだ。

「これだったら榎さんの構想も実現できるかもしれないな」

画像表示
(写真:後藤光一)

 永田は,白髪の交じる小柄な紳士が,人懐こい笑顔で語った雲をつかむような話を,ぼんやりと思い起こしていた。

DoPaに白羽の矢

 iモードを一から立ち上げた男。それがNTTドコモの榎啓一である。始まりは1997年1月上旬だった。当時の代表取締役社長である大星公二に呼び出された榎は,分厚い報告書を手渡される。コンサルティング会社のマッキンゼーがまとめたそれには,携帯電話機を使った新しいデータ通信サービスの可能性が事細かに記されていた。

 大星の要求はシンプルだった。このサービスを現実の事業にしろというのだ。榎にしてみればとんでもない話である。何しろ,頼れる人間は一人もいない。組織もなければ専属の部下も決まっていなかった。当時の榎の肩書は法人営業部長。大学の専攻こそ理系だったものの,最新技術についての知識は皆無に等しかった。そんな榎にできることは,社内外の識者を探し出し,各人の意見を丹念に集めていくことくらいだった。

 最初に榎が目を付けたのは,携帯電話機同士で全角25文字までのメッセージを送受信できる「ショートメール」である。ちょうどNTTドコモは1997年6月のサービス開始に向けて,準備を進めていた最中だった。ユーザー間でのメールのやりとりだけでなく,さまざまな情報をメールに載せて配信サービスを提供できないかと榎はもくろんだ。

 発想は悪くなかったものの,程なく榎は壁にぶつかる。ショートメールでは送受信できる文字数が少なく,多数のユーザーからの同時アクセスに耐えられるネットワークの確保に不安があることなどが明らかになってきた。

 榎が好運だったのは,ショートメールより一足早くNTTドコモが始めた別のサービスがあったことである。1997年3月28日に開始した携帯電話によるパケットサービス「DoPa(DoCoMo Packet)」だ。DoPaでは通話時間ではなく,やりとりするパケットの量によって課金する仕組みが既に出来上がっていた。携帯電話経由でパソコンを企業のLANにつなぐサービスで,1997年8月にはインターネットへの接続も始まる。コンテンツ配信にもピッタリだ。榎は早速DoPaを活用するための策を練り始める。

「当初,DoPaの基地局は東京一円ぐらいにしかなかったんですよ。それを私の一存で全国に広げることにしたんです。自分が責任を取る。社内でこう宣言すれば,一介の部長が何百億という投資の決定を下すことができた。あのころは,そういう雰囲気がありましたね。ちょうど携帯電話の加入者が劇的に伸びた時です。その伸びに社内の組織が追い付いていけなかった。その結果,大幅な権限の委譲が起こったんです。今だったら同じことができたかどうか…」

 榎は当時をこう振り返る。

 コンテンツ配信のインフラにメドが立つ一方で浮上してきたのが,コンテンツを受ける端末をどう作るかという問題だった。ここで榎が相談を持ち掛けたのが,パケット通信対応の携帯電話機の開発を指揮してきた永田だった。

ブラウザはどうするのか

 降ってわいた話に永田は耳を疑った。DoPa網を利用したコンテンツ配信というアイデアに,永田は素直にうなずけなかった。そもそもDoPaはパソコンやPDAに,インターネットに接続する手段を提供するものでしかなかった。コンテンツの閲覧などの処理はパソコンやPDAが実行するのが常識だった。それを榎は携帯電話機でやりたいという。

 永田にとって,それは携帯電話機のハードウエアの実状を知らない素人の発想だった。DoPa対応の携帯電話機でさえ,実現には多大な労力を費やした。それに加えてコンテンツの表示機能を載せるなんて正気の沙汰じゃない。プロセサの能力やメモリ容量をどれだけ増やせばいいと思っているのか。第一,表示画面が今の寸法で済むはずがない。

プレゼン資料
(写真:栗原克己)

 その結果がPDA型の携帯電話であることを永田は容易に想像できた。その先に待ち受ける暗い結末さえ知っていた。かつてお蔵入りになったPDA型携帯電話機を開発していたのは,ほかでもない永田自身だったからだ。

「後はやってみないと…」

「メモリ・マップを見れば,NetFrontがいかに軽いブラウザであるかが分かっていただけると思います」

 鎌田が口にしたとっておきの「殺し文句」に永田は我に返った。

 ディスプレイにはメモリ領域の使用状況を数値で見ることができるメモリ・マップが映し出されている。

「ご覧の通り,コードはわずか150Kバイトです」

 こう鎌田が言った瞬間,永田の口が動いた。

「86系のマイコンだとそうでしょうけど,携帯電話機のマイコンの処理能力は違いますよね。メモリはこれより小さくできるんですか」

 永田のひと言で,場内は静まり返った。

「小さくできます。でも正確な数字は,実際にコンパイルしてみないと…」

 これ以上はやってみないと分からない。それは誰の目にも明らかだった。永田は腕を組み,じっと目を伏せる。同席者はただ,黙って状況の推移を見守るしかなかった。

この技術はスジがいい

 永田の頭は猛然と回転を始めていた。目の前に動いているブラウザがある。しかもかなりの完成度で。出来合いの技術でここまで実現できるのなら,使わない手はない。自分達でやろうと思ったら必要になるとんでもない時間とコストが一足飛びに削減できる。永田はこれまで見てきた数々の技術を思い返しながら,NetFrontを値踏みした。

榎啓一氏
「iモードを一から立ち上げた男」,NTTドコモの榎啓一氏
(写真:的野弘路)

 永田は榎のグループからよく似た技術の話を聞き及んでいた。米Unwired Planet,Inc.(UP社)の携帯電話機向けブラウザである。当時UP社はHDMLと呼ぶ独自の記述言語に対応するブラウザの開発と販売を手掛けていた。永田が鎌田と初めて会った直後の1997年7月14日には,CEOであるAlan RossmannがNTTドコモを訪れ,榎に面会している。

 UP社のブラウザの採用に永田は否定的だった。何よりもUP社が独自の言語仕様を用いて技術の囲い込みを図ろうとしていることが気に掛かった。

「ウチのブラウザとサーバを買えば,ドコモはもうかりますよ」

 Rossmannは榎にこう語ったという。コンテンツの配信から表示まで,すべてをUP社に任せてほしいというのだ。

永田清人氏
NTTドコモ 移動機技術部 主幹技師(当時)の永田清人氏
(写真:栗原克己)

 この枠組みに潜む陥穽(かんせい)を永田は敏感に察知していた。サービスの内容を大きく左右する言語仕様を握られてしまったら,NTTドコモはUP社のいいなりになるしかない。UP社がブラウザの内部を一切公開しないことも問題だった。携帯電話機の限られたハードウエアを利用し尽くすには,ブラウザの内部に踏み込んだ議論が絶対必要になるはずだ。

 永田は鎌田の顔を見た。ACCESSのブラウザは標準のHTMLで記述したコンテンツを表示できるという。ブラウザの細部に関わる議論も,この人がいれば問題ない。永田は,榎のグループが,ACCESSのプレゼンテーションにしきりに誘った理由を今更のように理解した。

 永田は口を開いた。

「そうですね。あとは実際に携帯に載せてみないと何とも言えませんよね」

 永田は,柔和な表情で頭を掻いた。この技術はスジがいい。少なくとも試してみる価値はある。永田の腹は決まった。

鎌田富久氏
ACCESS 取締役副社長 研究開発担当(当時)の鎌田富久氏
(写真:栗原克己)

「試作に入りましょう」

 鎌田は心の中で快哉を叫んだ。

「商用化の約束はできません」

 安堵する鎌田に永田はくぎを刺す。

「御社のブラウザが商用化まで漕ぎ着けるという約束はできません。私の責任で言えるのは試作までです。それでも受けていただけますか」

 「はい。試作に入らせてください」

 鎌田は躊躇ちゅうちょなく答えた。不安がなかったわけではない。この会議の数カ月前,鎌田はつらい経験をしたばかりだった。NTTドコモのお呼びが掛かる前,ACCESSはあるメーカーとブラウザを搭載するPHSを共同開発していた。試作機の完成までこぎ着けたところで突然発売が中止になった。理由は分からない。試作に費やした時間は一瞬にして水泡に帰した。鎌田は自社の立場の弱さを痛感せずにはいられなかった。いくらブラウザ技術が優れていても,携帯電話機という実績のない分野で,ACCESSが単独でできることには限界がある。

 もちろん,今回も同じ結末にならないとは限らない。それでもNTTドコモという通信事業者と手を組めることは大きなチャンスだ。鎌田はこのチャンスを絶対に逃すまいと誓っていた。

 この機に乗じて鎌田は一つの依頼を口にすることも忘れなかった。携帯電話機向けのブラウザを普及させるために,最も重視していたことだ。

「実は,NetFrontで閲覧できるHTMLの仕様を標準化する提案書をW3Cに出したいと考えています。できれば御社にも標準化の提案メンバーに名を連ねていただきたいのですが…」

 鎌田がこう言うと,席を立とうとしていた永田は改めて座り直した。鎌田は自説をかいつまんで説明する。携帯電話機向けのブラウザが普及するかどうかは,閲覧できるコンテンツの数が勝負の鍵になる。コンテンツを増やすには,コンテンツの制作者が使いやすい言語仕様を提供することが不可欠だ。現状のHTMLを簡略化するだけでなく,その記述様式を標準化して誰でも利用できるようにする必要がある。当時,ACCESSは携帯電話向けの標準的なHTMLの仕様策定を水面下で進めていた。しかし,ソフトウエア開発会社や携帯電話機メーカーの提案では,いま一つインパクトに欠ける。NTTドコモが標準化の提案に名を連ねてくれれば,提案自体の重みがぐっと増すことになる。

 永田はニヤリと笑みを浮べる。まさに同じことを自分も考えていたからだ。

「技術の囲い込みをするつもりはありません。できる限りのことはします」

 2人の技術者は旧知の友人のように目配せを交わした。

 NTTドコモのアイデアとACCESSの技術が手を組んだことで,iモードは実現への大きな一歩を踏み出した。くしくもコンテンツ側でもNTTドコモの外部から「新しい血」が入ろうとしていた。社内の発想に限界を感じた榎の誘いを受け,リクルートを退社した松永真理は,1997年7月半ばに正式にNTTドコモの社員になる。その松永が呼び込んだ夏野剛も,ちょうどこのころから榎のグループに出入りを始めていた。

 そして1997年8月。NECと松下通信工業の電話のベルが鳴る。

=敬称略

―― 次回へ続く ――

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