2001年春にトヨタ自動車の東富士研究所で開催された役員向けの研究発表会。
そこで,駐車支援システムは役員から高い評価を受ける。
その3カ月後には担当役員から「製品化の1年前倒し」を宣告され,
周囲からの期待は高まる一方。
歓喜に沸いているはずの開発チームだが,実際には誰もが不安を募らせる。
実用化するには課題が山積みだった。
焦り始める開発チームの元に追い打ちをかけるように,ある情報が飛び込む。
「本当に間に合うだろうか…」
トヨタ自動車の東富士研究所内で,1人の技術者が不安を募らせていた。里中久志の下で開発現場を仕切っていた遠藤知彦である。
2001年夏に担当役員から「1年前倒しで2003年に製品化を」と催促を受けたことは,紛れもなくうれしかった。自分たちが手掛けたシステムを世の中に送り出せるのだから。だが,実用化までの道のりを考えると不安でいっぱい。期待感よりもその不安感の方がズシーンとくる。見た目には上出来の試作車だったが,その真の実力は実用化には程遠かったためだ。
役員向けの研究発表会は,技術者たちにとってまさに晴れ舞台。多くが役員たちの印象を高めようと,演出にも気を使って仕上げてくる。もちろん駐車支援システムも例外ではなかった。女性の声が流れる音声案内や警告音など,使い勝手や見た目では量産車といっても遜色ないほど完成度を高めた試作車を作っていた。
だが,開発チームの誰もが実用化できるほどの完成度が伴っていないことを痛いほど分かっていた。市場調査はしていない,制御ロジックも今のままでは精度が足りず到底使えない,フェイル・セーフも全然考慮していない…。ちょっと考えただけでも課題が山積みだった。
そんな開発チームの実情を周囲の人たちは知る由もない。役員たちは「ここまで仕上がっているなら,すぐに製品化できるだろう」と口々に言い,幹部クラスの上司からは「役員に認められてよかったね。行け行けドンドンじゃないか」と声を掛けられる。そこにきて担当役員から突然,「1年前倒し」を告げられてしまった…。
「いや,本当は違うんです。そう簡単に実用化できるものではないんです。まだまだなんです」――。思いもよらず外堀を埋められてしまった開発チームの誰もが,グッとのみ込んだ言葉だった。