多喜義彦氏
多喜義彦(たき・よしひこ)
1951年生まれ。1988年システム・インテグレーション設立,代表取締役に。現在,40数社の顧問,NPO日本知的財産戦略協議会理事長,宇宙航空研究開発機構知財アドバイザー,日本特許情報機構理事,金沢大学や九州工業大学の客員教授などを務める。(写真:花井智子)

 ヘラしぼりは,金属や木材などの硬いヘラ棒やローラを回転する金属板に押し付けて,ドームやおわんのような形にする加工技術のこと(図1)。実は,ヘラしぼりの方法もその理屈も,分かっているようで分かっていない。金属板にヘラを押し付けるだけで変形するのだから,不思議といえば不思議な話だ。最初はただの平板だが,見る見るうちに3次元形状に変形し,おわんのような形になっていくと,手品でも見ているかのような気分になってしまう。 一種の塑性加工技術であることに間違いないが,科学的な解析はされていないという。しかし,出来上がった製品を見るとかなり精巧な仕上がり具合だし,レーザカッタで後加工した製品などは精密金型でプレス成形したのではないかと思ってしまうほどだ。

 ヘラしぼりで実際にものづくりをやっている現場にお邪魔して驚いた。というのも,工場がずいぶんキレイなのだ。失礼ながら,ヘラしぼりの工場は汚いと思っていた。だから当然,そのような工場に若い人が居るわけはないと決めてかかっていたのが大間違い。何と,若い人が多い。10代の人もいる。ものづくりにあこがれて入社したそうだが,黙々とヘラしぼりに打ち込む後ろ姿を見ると,我が国の若い職人たちもナカナカではないかと,何か感動してしまう。

 それはさておき,もう少しヘラしぼりの技術を解説しよう。ヘラしぼりの機械はとてもシンプルだ。旋盤に似ているが,チャックもバイトもない。「回転板(バンコ)」と,それに型を取り付けて,その型に材料板を押し付ける「押しコップ」,そしてヘラを固定するというか,支える「金台」があるだけの構造だ。図2はヘラしぼりの途中の様子だが,内側に見えている型に材料板をヘラで押し付けて,型の形にしている。支え台である金台に何本かの小さな,くいのように見えるボッチは,ヘラやローラ棒がズレないようにする支点だ。

 職人は腰を使って,ヘラを自在に操る。文字通り,腰がカナメだ。セオリーはなく,まさに見よう見まねで覚えていくという職人技。いや,体全体を使う職人芸なのだ。

図1●この大きさ,プレスなら金型代はいかほどか
図1●この大きさ,プレスなら金型代はいかほどか

図2●ヘラしぼり機
図2●ヘラしぼり機
型に材料を押し付け,回転させて,ヘラで成形する。

先端技術と融合

 さて,図3(a)に写っている製品,黙っていればほとんどの人が「プレス打ち抜きで造った」と言うに違いない。しかし,もちろんこれもヘラしぼりで造られたものだ。筆者も手に取ってみて驚いた一人だが,これが本当にヘラしぼりなのかと目を疑うような仕上がりだった。ヘラしぼりの現場に来ているのだから,ヘラしぼりで造ったに決まっているのに,だ。

 普通,ヘラしぼりには特有の絞り痕がある。ヘラでシゴクので,その加工痕(絞り痕)が回転方向に,線状に残るのだ。しかし,この製品にはその絞り痕もないし,キレイに穴も開いている。先にも書いたが,これがプレス成形なら複数の金型が必要だし,しかもかなりの高い精度で打たないとこれだけの製品はできないだろう。

 紹介が遅れたが,この会社はナガセという,従業員が50人の中小企業である。この会社,ヘラしぼりでは60年の老舗だが,絞っているのは材料だけではない。知恵もそうだ。絞りに絞って,すごい技術を生み出している。その成果を端的に示したのが,先に見ていただいた図3(a)の製品。この製品は何と,ヘラしぼりと3次元レーザ加工の併せ技で造られていたのである〔図3(b)〕。

 何度もいうが,受注数量が少ない製品に対し,プレス金型を起こすことはナンセンス。ならばということでヘラしぼりに白羽の矢が立つも,その泣きどころは絞り痕。ところが,ナガセの製品にはそれがない。そればかりか,穴も開けてある。実は,この穴開け加工にはレーザを使っているのだ。こうした組み合わせで,どこから見てもプレス製品というヘラしぼり製品を造ってしまうのが,この会社のすごさ。ヘラしぼりもさることながら,知恵絞りも相当のものだ。

図3●3次元レーザ加工機とヘラしぼりの併せ技
図3●3次元レーザ加工機とヘラしぼりの併せ技
ヘラしぼりの技術によって造られた製品(a)と,3次元レーザ加工機(b)。