藤本隆宏氏
藤本隆宏(ふじもと・たかひろ)
1955年東京都生まれ。1979年東京大学経済学部卒業,三菱総合研究所入社。1989年米Harvard Business Schoolで博士号取得,1990年東京大学経済学部に助教授。1998年東京大学大学院経済学研究科教授。2004年東京大学ものづくり経営研究センター長。『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞社)など著書多数。(写真:栗原克己)

 製品アーキテクチャの議論で,よく「日本は擦り合わせに強い」と端折(はしょ)って言う人がいますが,これだけを聞いて誤解する人が多いんです。「日本人には擦り合わせのDNAがあるから,擦り合わせていれば勝てる」とかね。そうではなくて,僕が言っているのは組織能力の構築論なんです。例えばトヨタ自動車がパソコンを造っても米Dell社に勝てるわけじゃない。逆にDell社が自動車を造ってもトヨタに勝てないでしょう。つまり,調整能力を育ててきた組織は擦り合わせの多い設計を得意とし,分業方法の構築に優れた組織はモジュラー型の製品と相性がいいという話です。

 ここで大事なのは,製品固有のアーキテクチャというのはないこと。例えば,ひと口に「自動車は擦り合わせ」と言っても,設計は時代とともに進化するし,地域によっても変わる。だって,中国のクルマは同じエンジンと同じ電装品を搭載していたりしてモジュラー的でしょ。同じ低価格車でも,インドTata Motors社が造る「Nano」は,詳しい人に言わせると「あれは擦り合わせ」。安くするために多くの専用部品を用意する発想は,確かにパソコン的ではない。

 だから,擦り合わせを最初から頑張れなんてことはないんです。設計者は最初,可能な限りモジュラー化に挑みます。部品間で余計な交互作用がなくて,シンプルで美しいのが設計の理想ですから。でも,お客さんから「ちょっと違う。欲しいものはこうだ」と難題を出されて,一生懸命やっているうちに,結果として交互作用が出て擦り合わせが入る。それをお客が「いいね」と言って2割高く買ってくれるわけです。設計者としては美しいモジュラーが崩れて忸怩たるものがあると思いますが,これこそ我々が食っていく道なんですよ。

 言い換えると,10の機能を10の部品で構成するとき,10元の連立方程式を解くのが擦り合わせ。例えば自動車では,連立方程式の係数のちょっとした違いで答えの全体像が大きく変わり,欧州はディーゼルエンジンの天下,日米はガソリンエンジンになったりする。一方,理想的なモジュラー型なら10の独立方程式を個別に解けばいい。

製造業とサービス業の「間」

 擦り合わせでは,そうした複雑で非線形な連立方程式を解くので,出来合いの解を寄せ集めても答えは得られません。しかも,スパゲティみたいにこんがらがっている問題なので一人では解けず,100人とか多くの人が協力して解く。当然,みんなが大部屋でチームになり,互いにサッカーみたいに情報をパスし合わないとうまく解けない。これが,日本の企業が持つ「多能工のチームワークで問題を解く」というスタイルとぴったり合う。だから,擦り合わせなんです。

 ものづくりというと,一般には物を組み立てたり切削したりすることを思い浮かべる人が多いけど,僕は,設計情報がお客に向かって流れている場所はすべて「ものづくりの現場」だと思っています。まず設計情報を創造するのが設計現場で,すべての基点。それを人工物に転写するのが生産の現場で,さらにお客さんに発信するのが販売の現場。この人工物ってのは有形(質量がある)でも無形でもよくて,耐久的でも非耐久的でもいい。そう考えてみると,広い意味ではサービス業だって,ものづくりなんですよ。

 例えば京都の花街とかね。原材料は機嫌の悪い客,出荷するのは機嫌のいい客。お客をもてなす数時間のリードタイムで,設計情報を転写していく。この場をどう制御するかというと,やっぱり多能工のチームワーク。芸子さんが班長で,その下に舞妓さんが何人かいて,踊りや料理,お酒,余興などの流れをチームで制御する。モジュラー化された標準的な流れはあるけど,往々にしてそれはお客に崩されるので,うまく擦り合わせて出荷につないでいく。この場合,設計と生産,販売,消費が同空間,同時間で進むので,製品の在庫はできませんが(笑)。

「勘弁してくれよ」がメシの種

 今後10年にわたって,我々がよりどころとする強みは何か。僕は,やっぱり設計の力だと思います。「日本は設計立国なんだ」と。制約条件が厳しくて,お客がうるさくて,設計者が頭抱えて「勘弁してくれよ」って言うような設計は全部,日本があえて引き受ける。これが我々のメシの種だから。でも,設計なら何でも国内に残すのではない。簡単なものは出しちゃえばいい。やるべきは,難しい問題を解き,多能工のチームワークによる「よい流れ」でうまく顧客のところまでつなぐこと。この組織能力だけは絶対に日本に残す必要がある。

 幸いなことに今,環境問題などで難しいものが増えている。例えば,標準的なボイラだったら中国に負けるけど,ごみや廃タイヤを燃やしてタービンを回すとか,そういうボイラなら日本の独擅場だそうです。設計の連立方程式は,もっと巨大化・複雑化する方向に行く。難しいものを日本で真っ先にやり,その上で「世界の皆様,手伝います」と,内需で獲得した能力を輸出すればいい。こういうしたたかな考えなしに,単に内需拡大すればいいってもんじゃない。

 気を付けてほしいのは,設計立国であって技術立国ではないこと。単純なハイテク志向だと,設計的にはシンプルになるから負けます。例えば便器。米国では,一度流すと20Lの水を使うらしい。でも,日本では6Lですっきり。しかも,次は5L,4Lと改善され,そのうち周りは追従できなくなる。しかも,こういう便器は形が極めて複雑で,金型の形状を割り出せず,まねできない。半導体で負けても便器じゃ勝てる。日本はハイテクで勝たなきゃいけないのに負けたって意気消沈していますが,違いますよ。発想を変える必要があります。

 今の不況に関しては,何言ったって当たらないし,半年後のことは分からない。でも,逆に10年後のことは分かるかもしれない。経済学における比較優位の考え方からすると,ほかの国の5倍の所得で豊かな生活をしようと思ったら,その国の5倍以上の生産性でやっていく必要がある。そのためには,国内の全産業が,メシの種である現場の能力構築をやり,全産業の生産性をかさ上げしなければならないんです。(聞き手は本誌編集長 原田 衛)