COLLEGE 製造業の“本当”を探求
 

第3回:苦節十余年,事態一転,怒涛の快進撃が始まる

仲森 智博
2009/06/09 00:00
出典:日経エレクトロニクス、1995年2月27日号 、pp.123-127 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)
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高輝度青色発光ダイオード開発物語の第3回。第1回と第2回では,開発者の中村修二氏が入社してから,青色発光ダイオードの研究で最初の成果を出すまでを追った。今回は,開発が軌道に乗り始めてダイオードが光るまで。発光層となるGaN膜ができたころから開発は順調に進み始める。平滑なGaN膜の成長,続いてp型GaN膜の作製,そしてpn接合型の発光ダイオードの試作にこぎつけた。波に乗って半導体レーザもねらえるダブルヘテロ構造を標的にする。しかしそのとき,意外な障壁が行く手に現れた。

 高品位のGaN膜が突如できなくなって2カ月が経つ。装置の改造,特にガスの吹き出し方法の微調整が続く。しかし,天は見放したわけではなかった。1990年も暮れるころ,安定にGaN膜を成長させる条件が,手探りながらわかってくる(図1)。

図1 GaN膜の成長を再開
図1 GaN膜の成長を再開
1990年9月以来約2カ月間,膜が成長できない状況が続いた。ガスの吹き出し角度などが微妙にずれると,とたんに膜が成長できなくなる。2カ月間の試行錯誤でやっと条件がつかめ始めた。1990年12月25日付の実験ノートから。

 最初に高品位GaN膜ができたのは,ほとんど奇跡だった。ほんの少しでも膜の成長条件が変わると,まるで膜ができなくなってしまう。このような厳しい条件下で偶然できた膜といえる。それでもできた。できたことが励みとなって,安定な膜成長条件を探り当てることに成功した。流れは中村氏に向いてきた。

中村修二劇場
地方企業の技術者が、青色LEDの発明で
科学界最高の栄誉を獲得するまでの全記録。

「本当の中村修二」に近づく
ノーベル物理学賞で科学者最高の栄誉を獲得した中村修二教授は今、何を思っているのか。過去のさまざまな場面で吐露した思い、専門記者の視点、世間の見方はどのようなものだったのか。現在・過去・未来をトレースすることが「本当の中村修二」に近づく唯一の方法だ。地方企業の技術者がノーベル賞を受賞するまでを当時の報道を中心につづった実録を書籍化。

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