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HOMEスキルアップCOLLEGE高輝度青色発光ダイオードの開発 > 第3回:苦節十余年,事態一転,怒涛の快進撃が始まる

高輝度青色発光ダイオードの開発

第3回:苦節十余年,事態一転,怒涛の快進撃が始まる

  • 仲森 智博
  • 2009/06/09 00:00
  • 1/6ページ

高輝度青色発光ダイオード開発物語の第3回。第1回と第2回では,開発者の中村修二氏が入社してから,青色発光ダイオードの研究で最初の成果を出すまでを追った。今回は,開発が軌道に乗り始めてダイオードが光るまで。発光層となるGaN膜ができたころから開発は順調に進み始める。平滑なGaN膜の成長,続いてp型GaN膜の作製,そしてpn接合型の発光ダイオードの試作にこぎつけた。波に乗って半導体レーザもねらえるダブルヘテロ構造を標的にする。しかしそのとき,意外な障壁が行く手に現れた。

 高品位のGaN膜が突如できなくなって2カ月が経つ。装置の改造,特にガスの吹き出し方法の微調整が続く。しかし,天は見放したわけではなかった。1990年も暮れるころ,安定にGaN膜を成長させる条件が,手探りながらわかってくる(図1)。

図1 GaN膜の成長を再開
図1 GaN膜の成長を再開
1990年9月以来約2カ月間,膜が成長できない状況が続いた。ガスの吹き出し角度などが微妙にずれると,とたんに膜が成長できなくなる。2カ月間の試行錯誤でやっと条件がつかめ始めた。1990年12月25日付の実験ノートから。

 最初に高品位GaN膜ができたのは,ほとんど奇跡だった。ほんの少しでも膜の成長条件が変わると,まるで膜ができなくなってしまう。このような厳しい条件下で偶然できた膜といえる。それでもできた。できたことが励みとなって,安定な膜成長条件を探り当てることに成功した。流れは中村氏に向いてきた。

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