かつてのソニーは、どこよりも本質に迫れていたからこそ、奇跡と言われ、神話ともされた大成長を遂げた。しかし、今のソニーはそうではない。今回の中期経営方針も本質から乖離したものだ。

 だから「ソニーは、経営陣から本質に回帰せよ」。これまで、価値、ビジネス、企業の本質と、それらに準じる本質的な全体最適に基づき、そう訴えてきた。では、ソニーの経営陣とは、誰のことなのか。

 よく知られるように、ソニーは、1990年代後半から米国流のコーポレートガバナンスを推進してきた企業である。その中で、経営機構の変革として社外取締役の比率を増やしてきた結果、今や社外取締役は、全取締役12人中の10人を占める。つまり、ソニーの経営陣とは、もう長らく、社内の経営陣である社内取締役と執行役、社外の経営陣である社外取締役の総体のことなのだ。

 よって、「経営陣は本質に回帰せよ」は社外取締役に向けたものでもあるのだが、厳密には「回帰」の主語になるのは社内の経営陣だけである。だから、これは、社外取締役には「社内の経営陣を本質に回帰させよ」の意味となり、「社内の経営陣を本質に迫らせる」ことが、ソニーの場合は「社内の経営陣を本質に回帰させる」ことになる。

 従って、私はソニーの社外取締役には「社内の経営陣を本質に迫らせる」ことを求めていることになるのだが、それは、彼らがソニーという特定企業の社外取締役だからではない。

 社外取締役の役割とは、社内の経営陣による経営を正すことであり、平たく言えば、経営の正誤判断の基準となる考えを社内の経営陣に納得させることだ。

 そして、一般的に正誤判断の基準として示される考えには、「事物の本質に準じる考え」と「事物の状況に準じる考え」がある。ここで、前者は、事物の持つ本質(ある事物全てに当てはまるもの)と偶有性(ある個別の事物にたまたま当てはまるもの)という2種類の属性の内、事物の本質のみに準じる考えであり、後者は、事物の偶有性のみ、ないしは本質と偶有性の両方に準じる考えだ。

 しかし、例えば、経済・ビジネスの専門家とされるエコノミストやコンサルタントが二言目に言う、「ある大手米国企業では○○手法を導入して売上が増えた」という事物の状況に準じる「企業では○○手法を導入すれば売上が増える」との考えが他の企業に当てはまるかどうかは分からず、よって経営の正誤判断の参考にはなっても基準にはならない。というように、企業の状況は個々に異なるから、「事物の状況に準じる考え」は、経営の正誤判断の参考にはなっても、基準にはなり得ない。

 対して、「人間(ビジネスマン)の集まり」という企業の本質に準じる「企業の改革とは、企業を形成する個々人の精神の改革である」との考えが全ての企業に当てはまり、よって経営の正誤判断の基準になるように、企業の状況は個々に異なるが、「事物の本質に準じる考え」は、経営の正誤判断の基準になり得るものである。

 だから、社内の経営陣による経営を正すこと、すなわち経営の正誤判断の基準となる考えを社内の経営陣に納得させることは、「事物の本質に準じる考え」を社内の経営陣に納得させることなのだ。そして、「事物の本質に準じる考え」を社内の経営陣に納得させることは、「社内の経営陣を本質に迫らせる」ことに他ならない。

 つまり、「社内の経営陣を本質に迫らせる」ことは、社外取締役の一般的な役割なのだ。ゆえに、私は、社外取締役としての一般的な役割を果たして欲しいとの意味で、ソニーの社外取締役に「社内の経営陣を本質に迫らせる」ことを求めているのである。