現場を燃えさせてくれる先生

「世界脳神経外科学会で、杉田クリップはたちまちのうちに完売」

ミズホの五泉工場(緑の美しい新潟の田園都市にある)

 この知らせが日本に届いたとき、ミズホ246名(当時)の従業員のなかでもひときわ嬉しさを感じている1群の人々がいた。新潟県五泉(ごせん)市に立地するミズホ五泉工場の人たちだ。

 五泉は新潟県の中央やや北よりに位置する。遠方から汲みに来る人が1年中絶えない吉清水(よしみず)など、水が清らかな緑が美しい田園都市だ。「杉田クリップ」は、杉田医師の指導のもとに、ここ五泉の地において開発されている。当時の五泉工場の従業員は125名。

星 輝雄氏

 現在、五泉工場の取締役副工場長で技術部長兼技術責任者の星輝雄は、当初から開発に携わった1人である。星が作成した「杉田クリップの変遷」の年表の冒頭には、つぎのように記されている。

「1973年(昭和48年)、生販管理兼開発部長の井上優氏が杉田先生の試作依頼を持ってくる。杉田式脳動脈瘤クリップ試作開始。略図で金子清班長試作。曲げ型作りは渡辺福治氏担当」

綿引昭二氏

 綿引が名大病院で杉田から針金を曲げたクリップ状のものを見せられ、何度か試作についての意見交換を経たのち、翌74年に正式発注を受けて、ミズホ五泉工場で「杉田式脳動脈瘤クリップ」開発のための取り組みが本格的に開始される。

「現場を燃えさせてくれる先生」

 これが、星たち現場の人間の杉田についての人物評である。

井上 優氏

 医療の分野に携わることでは同じといっても、国立大学病院の医局に所属する臨床医と医療機器の製造現場で働く人間との距離は遠い。地理上の距離からしても、杉田のいる名古屋と星たちがいる五泉との間は遠かった。そうした隔たりを一挙に縮める行動を躊躇(ちゆうちよ)なくとるところに、医師の類型にはない杉田の特徴がある。