まさか世界初のモニタになるとは!

生体情報計測装置の完成時の久保田さん。

「学会の新製品展示に間に合わせようと無我夢中でつくった製品が、あとから世界初と知って、驚いた」

 久保田さんら日本光電工業(株)第四課に所属する三人のエンジニアに与えられたテーマは「手術中の患者の状態を簡単にチェックできるような装置の開発」であった。

 当時の日本光電工業(略称・日本光電)は、医療機器専業メーカーとして日本でも最上位にランクされていたが、社員数は総勢でも200人を超える程度でしかなかった。ちなみに、同社の2014年3月現在の従業員数は1975名(グループ35社、4495名)、東証一部上場企業。主力製品も脳波計から生体情報モニタへと変化している。

 久保田さんは1963(昭和38)年に入社。初任給2万1000円。入社式での荻野義夫社長の訓示は、いまでも覚えている。 「できない理由ばかり考えずに、成し遂げる方法を考えよ。めざすのは医学と工学の接点。人間の体ほど工学のサンプルに打って付けのものはない。カメラを設計するには目を、マイクロフォンを設計するには耳を。諸君は医用工学、MEDICALENGINEERING、MEの先駆者たれ」

 この言葉を胸に開発チームが、患者のなにを測定すればいいかを考えて選んだのが、「心電図」を中心とする計測装置である。

 心電図にはR波といわれる飛び切り目立つ刺状の波が存在している。R波は、心臓の一回ごとの収縮に関係して発生している。この波を数えれば「心拍数」が計測できる。

 つぎに目を向けたのが肺の動きである。なんとか呼吸の状態も計測できないかと考え、鼻孔近くにサーミスタ(半導体温度感知器)を置けば呼吸によって変動する波形が取れ、この波を数えれば呼吸数が計れるだろう、との予測を立てた。

 もう一つ、体温の変化を監視するためにサーミスタを使うことを考えた。すでに体温計測だけでなく、温度の計測が自動的に行われていたので、比較的容易に実現できるはずであった。