人工肝臓とは別に吸着カラムの新しい用途を模索中の寺本のところに、滋賀医科大学の大学院生であつた谷徹(現・同大学外科学講座教授)が訪れ、「新しいデバイスの研究を一緒にやりましょう」という話になり交流が始まる。それからしばらくして寺本が大学を訪れた折、谷らから抗生物質のポリミキシン固定化の提案を受け、注射用ポリミキシンBを1バイアル(注・ガラス製の小瓶)渡され、固定化の検討を本格的に始める。81年夏のことだ。寺本の頭にはポリミキシンBを固定化できる担体としてビリルビン吸着剤の合成中間体であるアミドメチル化繊維がすぐに浮かんだ。会社に戻り、ポリミキシンBの化学構造を調査し、固定化できそうなことを確認した。早速、試薬を購入し、固定化の実験に着手する。固定化繊維を試作し、大学に提供し、それを用いての動物実験が開始される。

 83年8月、滋賀医科大学・東レ技術連絡会で、敗血症のイヌの治療実験で顕著な救命効果が得られたことが報告される。敗血症犬の治療実験を数多くこなすために、東レからも支援の研究者を大学に派遣する必要が生じた。そこで、寺本が田中三千彦・新繊維研究室長に要望して自分らのグループに移籍してもらったのが、当時、鉛繊維の研究をしていた小路である。その後入れ替わるように、寺本は国家プロジェクト「バイオマテリアル研究所」に出向することになり、寺本の研究は小路に引き継がれるという経緯をたどる。

 「まさか、これが、私のライフワークになるとは、思ってもいませんでした」と、小路は語る。「83年10月ごろから大学に通い実験を始めましたが、治療実験の成績は、不安定で、なかなか、決定的な結果が出ませんでした。会社に戻り、再度、ポリミキシンB固定化繊維をつくり直し、治療実験をやりました。問題は、ポリミキシンBをどのように繊維に固定化するかが重要で、それに気づき、最適化するまでに、およそ2年が必要でした。効果があるか否かは、動物実験でしか実証できず、大変な試験でした。滋賀医大の先生方もよく一緒にやってくださったものだと、いまでも思います」

 開発政策上、とくに寄与した東レの人たちとして、寺本や小路は四人の人物を挙げる。滋賀医科大学の谷医師を紹介して共同研究の契機をつくり、動物実験が始まると滝内秀文研究員を派遣してくれた西海四郎・新繊維研究室長。医療材料といういままでの繊維研究所になじまないテーマを強力なリーダーシップで推進した川口達郎・繊維研究所長、その下で研究推進の実行に当たった田中三千彦・新繊維研究室長、それに事業化推進のリーダーとなった武山高之・人工臓器事業部長である。

 共同研究開始から27年が経過した今日、開発に携わった東レの人たちの多くはすでに現役から離れている。寺本も昨年、定年後の5年間の嘱託勤務を終え東レを完全退職した。しかし、研究者としての現役を引退したわけではない。現在、研究生の身分で滋賀医科大学の小笠原一誠教授の病理学教室へと通っている。

トレミキシンの構造
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