加藤 博士課程に進むことは全く視野になかったと言っていましたけど、就職ではなぜKDD(現・KDDI)を選んだのでしょうか。
小畑 通信分野をやりたかったという話をしましたよね。危険じゃないので(笑)。そしたら、NTTかKDDしかないんですよ。でも、NTTは競争率が高かったんですね。
修士2年生のときですから1986年ですね。当時、理系では就職の推薦枠のようなものがあって、就職を希望する学部と大学院の学生が全員集まってどこに行くかを決めるわけです。大学院の試験合格者が決まる9月の頭くらいに。例えば、NTTと松下電工の枠は10人とか、ほかの会社は5人とか。僕のときは、KDDの枠は1人でした。最初は誰も手を挙げていなかった。NTTは最初から枠があふれると分かっていたので、KDDしかないかと思って。
枠があふれたら学生同士で話し合いをするわけですが、選択肢は二つしかないんです。成績順か、くじ引きかですよね。成績のいい人は「成績順にしよう」、そうでない人は「くじ引き」にしようと(笑)。
そういうのがあるので「嫌だな」と思っていたら、たまたまKDDは2人いたんです。僕と、もう1人ですね。でも、2人でくじ引きもないし、成績順だと僕になっちゃう。だから、向こうが辞退したんです。それで、僕も引けなくなってKDDに行くことに。
加藤 へぇ。最近は、理系でもそういう制度をあまり聞かなくなっているので、今の学生にとっては珍しく聞こえるかもしれませんね。
小畑 そうですよね。ところが、11月くらいに高校の先輩から突然連絡が来たんです。リクルートに入らないかと。当時、リクルートはコンピューターのタイムシェアの事業などをやっていました。高校の先輩だけでなく、同級生も2人くらいいて、ものすごく勧誘されて、心が動いたんです。KDDは決まったけど、何も音沙汰がなかったこともあって。
でも、「辞退させちゃったのに」という気まずい思いがあったことに加え、リクルートに行くかもしれないという話がKDDにも伝わってしまった。それでKDDにいる大学の先輩が連絡してきました。ただ、当時は修士論文に向けた研究が忙しくて家に帰れないので、修了までの6カ月だけ下宿を借りていたんです。