ピカ新中のピカ新

 グリーン教授の方針で、グリーン型培養表皮を開発できるのは一国一社と決められていた。つまり、日本ではJ‐TECのみであった。

 遠路はるばる運ばれてきた3T3‐J2細胞の入ったフラスコをまのあたりにして社内は歓声に沸いたが、ここから製造販売承認を取得するまでに7年を要する。

 なぜ7年もの歳月を要したのか。主な要因は、それまで日本では再生医療の産業化をめざして再生医療製品の製造販売承認を行政当局に申請した前例がなかったからだ。

「再生医療」という用語が登場したのは、1990年代後半といわれる。再生医療製品として製造販売承認を取得するためには、安全性と有効性の評価が不可欠だが、自家培養表皮の開発が始まった当時、その評価基準さえ定まっていなかった。日本において再生医療製品に関するガイドラインとして「ヒト細胞加工医薬品などの品質及び安全性に関する指針」が示されたのは、2012年9月である。

 どんな製品にもかならず規格がある。形状、寸法、成分、組成、構造、装備、性質(信頼性、安全性を含む)、性能、動作、方法、手順、手続き、方式、状態、条件その他の技術的事項が、法的に取り決められている。しかし、自家培養表皮の製品開発は、日本で初めての試みであるがゆえに、行政当局とともにそれらの規格をつくっていくプロセスでもあった。

「移植用の皮膚にはどれくらいの数の細胞があるのか、その細胞の何パーセントが生きていればいいのか、安全性はどこまで保障されるのか・・・といった製品の規格を一つひとつ当局と検討して決めていくのです。とくに安全性の評価では、いったん決めた基準であっても、本当にそれでいいのかと考え直して、そのたびに安全性追求のためのハードルが高くなり、当局からわれわれへの要求事項がどんどん増えていく。

 皮膚をつくる作業と並行して日本の再生医療のガイドラインもつくっていかねばならなかったのです。そのために多くの時間を割かれましたが、規格が決まらなければ製品化もできない。日本の再生医療は遅れているといわれるなかで、なんとか遅れを取り戻そうと当局もわれわれも必死でした」

J-TECの研究室において細胞培養について話を聞くグリーン教授。写真:J-TEC

 グリーン型自家培養表皮は米国では1988年から「Epicel」(エピセル)という製品が提供されていたが、井家さんらは独創性を発揮して、それとは異なる形態の製品化を実現した。日本の厳しい規制のなかで最新の科学水準に則(のっと)った製品規格を設定し、自家培養表皮の性能と品質を科学的に検証する作業を積み重ねた。当局と協力してつくり上げた評価項目や品質規格は、薬事承認品目として世界でも画期的であったため、現在では再生医療製品の標準として国内外から参照されている。

 自家培養表皮ジェイスは、日本において再生医療の製品化が実現可能であることを証明し、再生医療の産業化の礎(いしずえ)となった製品といえるだろう。