「再生医療の父」からのサプライズプレゼント

「歴史上の偉大な人物であるから、会うだけで緊張する。そのうえ、とっつきにくくて、怖い。細胞を分けてください、とお願いしたら、けんもほろろに追い返された」

ハワード・グリーン教授(前列向かって左)と井家さん(前列向かって右)ら開発メンバーとの交流は現在も続いている。写真:J-TEC

 グリーン教授を訪ねた日本の再生医療関係者からこんな話を聞かされていたJ‐TECの研究開発者たちは、それがそのまま教授の人物像となっていた。ところが、J‐TECの研究者が教授のもとを訪れると、信じられない出来事が起こった。教授が培養した細胞、それもすでに凍結細胞を起こして培養液にひたしてフラスコに入れた生きた細胞を、そのまま持ち帰っていいという許可が与えられたのだ。会社設立から一年余を経た2000年のことだ。

 まさかそんなサプライズプレゼントが得られるとは予期していなかった研究者は、日本まで持ち帰る用意はしていない。困って会社に電話をかけてきた。会社が打ち出した対応策は「そのまま持って来い!」であった。いまなら考えられないことだが、研究者はフラスコを機内に持ち込み、捧げ持つようにしてボストンのハーバード大学から愛知県蒲郡の研究室まで運んだ。

 グリーン教授が分け与えてくれたのは、「3T3‐J2」という名の細胞だ。この細胞はフィーダー細胞と呼ばれるもので、細胞を培養する際に目的とする細胞の増殖や分化に必要な環境を整えるために補助的に用いられる細胞で、いわば目的の細胞を培養する下敷きとなる細胞だ。ヒトの表皮細胞を培養するのに最も適したフィーダー細胞であり、世界中から教授のもとを訪れる人が絶えないのも、3T3‐J2細胞を求めてのことだ。

 1925(大正14)年9月生まれのグリーン教授は、現在88歳。ハーバード大学はその偉大な業績に対して永年教授として遇している。

 昨年、井家さんらは大学に教授を訪れた際、日本式の米寿のお祝いをプレゼントしている。なぜ、J‐TECに3T3‐J2細胞を無償で分け与えてくれたのか。それについて尋ねたことがある。教授の答えは「真摯( しんし)に培養に取り組んでくれる企業だと思ったから」。

「先生は、あまりお笑いにならず、気むずかしい印象を受けますが、それは相手が本気かどうかを真剣に見極めようとなさるからでもあります。当社に対してもそうでした。グリーン型培養表皮をベースにして培養することが製品化のキーとなるので、きちんとまじめにその細胞を使って培養できるのか、最終的に製品にまでこぎつけられるのか、こちらの意志と気概を、先生は確かめておられました。

 初めのうちは医師仲間にも細胞を譲っておられたそうですが、やはり相当真剣に培養に取り組まないことには良いものができないわけで、失敗事例ばかりが増えるとグリーン型培養表皮は役に立たない、という評価をされてしまう。グリーン先生はそうした事態をとても腹立たしくお思いになって、厳しく制限を設けられていたのです。数多くのメーカーが欲しいと願い出てもなかなか許可を出さず、私どもも面会前は怖くて厳しい先生というイメージがあり、とてもお譲りいただけないだろうと思っていました。しかし実際にボストンに足を運び、『われわれはベンチャーで、この製品にかけている。日本の再生医療はここから始めたい』という決意をお伝えしたら、無償で分けてくださいました。

 3T3‐J2細胞はマウス由来の細胞ですが、私たちは厚生省(現・厚生労働省)の求めに応じてその安全性をとことん追求して、そのための細かいデータ分析をきわめて正確に提示しました。グリーン先生も『日本の行政当局はこんなことまで求めてくるのか、すごいねえ』と感心されていました。アメリカではそこまで要求されませんので、日本の管理はしっかりしている、と思ってくださったのでしょう」。

移植までの流れ。写真:J-TEC
[画像のクリックで拡大表示]