21世紀の医療を変える
「ティッシュ・エンジニアリング」

 井家さんのJ‐TECにおける社員番号は、20番。つまり、20人目の社員というわけだ。

 同社は、眼科医療機器の開発・製造・販売を主業務とするニデックという会社を母体に、INAXや富山化学工業、セントラルキャピタル(現・三菱UFJキャピタル)が共同出資して、1999年に設立されたベンチャー企業だ。

 井家さんは富山医科薬科大学大学院を修了して富山化学工業に就職していたが、J‐TEC設立に伴う社内公募に応じて設立翌年に出向し、自家培養表皮の開発メンバーに加わる。その後、開発リーダーになるとともに正式に移籍する。

 ベンチャー企業特有の少数精鋭主義を掲げ、給湯室で役員も社員も一緒にお茶を飲みながら会社の方針が検討されたが、その事業構想は遠大であった。同社の会社案内は、設立趣旨についてこう記している。

「医療の質的変化をもたらすティッシュ・エンジニアリングをベースに、組織再生による根本治療を目指し、21世紀の医療そのものを変えてゆく事業を展開する」

「ティッシュ・エンジニアリング」とは、1993年に米国の研究者によって提唱された概念で、生きた細胞を使って本来の機能をできるだけ保持した組織・臓器を人工的につくり出すことを目的としている。日本では「組織工学」と呼ばれる。

 いまや21世紀の医療として再生医療に大きな期待が寄せられているが、「再生医療とは、組織工学を基礎として、ヒトの細胞や組織を加工することによりつくり上げられた機能的な細胞や組織・臓器を用いて、治療や修復・再建を行う医療技術である」と、井家さんは解説する。

 いまでこそティッシュ・エンジニアリングは再生医療の実現に不可欠な領域として知られるようになってきているが、設立当時はティッシュといわれてもティッシュペーパーしか思い浮かばない人が多く、紙製品の会社などと誤解されたりした。

 設立当初から、まずは自家培養表皮の製品開発を成し遂げ、日本初の再生医療製品を生み出す目標を掲げていた。骨、神経、血管などではなく皮膚を製品化の対象にしたのは、それが再生医療の歴史にかなう行為でもあったからだ。

 今日につながる再生医療の流れは、ヒトの正常表皮細胞の培養方法を、1975年、米国ハーバード大学医学部のハワード・グリーン教授らが確立したことに始まる。彼らはヒト表皮細胞を培養する際に、特殊な細胞を使うことで、きわめて良好な培養環境をつくり出すことに成功する。このグリーン型培養表皮の臨床使用を軸に、世界の再生医療は発展していく。グリーン教授が「再生医療の父」と呼ばれるゆえんである。