政府という名のエンジェル

SBIRを所管する米SBA(Small Business Administration)。ワシントンDCにある。
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――SBIRとは何でしょうか。

山口 スモール・ビジネス・イノベーション・リサーチ(Small Business Innovation Research)政策の略です。これは、イノベーションを起こすのはスモールビジネスだという仮説です。1982年、米国がその仮説に基づく政策を打ち出しました。具体的には、連邦政府の研究開発予算のうち2%(現在は2.8%)を必ずSBIRに回しなさいという法律をつくったのです。このSBIR政策によって強制的に回された予算で、国防総省(DOD)やエネルギー省(DOE)、それから国立衛生研究所(NIH)を有する保健福祉省(HHS)は、若き科学者をイノベーターに転ずる「スター誕生システム」を始めました。

 まず、若き科学者たちに対して具体的な“お題”を与えます。例えば「国境警備に役立つセンサーを作りなさい」などの課題ですね。そして、手を挙げた大学院生やポスドクを3~4倍の競争率で選別して会社を興させ、最初に約1000万円の資金を与えて半年間研究をさせる。これを「フェーズ1」と呼びます。その中の有望株には、さらに約8000万~1億円の資金を2年間支給する。これを「フェーズ2」と呼びます。この2年間で今までにないものができたら、「フェーズ3」として、政府が強制調達によって強制的に市場をつくるか、ベンチャーキャピタルを紹介します。

ワシントンDCにあるNIH本部。NIHが育てたノーベル賞受賞者の顔写真が延々と飾ってある(パデュー大学の根岸英一教授の写真もある)。一方で、「From discovery to health」という標語が大きく掲げられており、発見ではなくライフイノベーションに貢献する研究の支援にプライオリティーを移すことが宣言されている。
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――面白いですね。

山口 特にバイオ産業に関して、米国の22%の薬はSBIR被採択企業が最初に発見した化合物が発端になっています。ということは、きっちり産業に寄与しているわけです。政府支出(HHSが支出したSBIR全予算)に対する収益(売上高+M&A額)は、何と45倍。国の税金による投資が45倍になって返ってきたわけですよ。

――すごいですね。

山口 だからこれは、見ようによっては政府という名の「目利き力」の高いエンジェルなのです。「中央研究所モデルの終焉(しゅうえん)」を受け、米国は新しいイノベーション・モデルとして「アメリカ合衆国中央研究所」をつくったのだなと私は思いました。要するにイノベーション・エコシステムをつくり上げたわけです。彼らは本当に頭が良い。

ワシントンDCのDOE本部。このDOEやDOD、NIHなどが、無名の若き科学者たちをイノベーターとして養成し、ついに「アメリカ合衆国中央研究所」と呼ぶことのできるイノベーション・エコシステムを創りあげた。
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 一方、日本も米国の真似をして1998年に中小企業技術革新制度という日本版SBIRをつくりました。しかし、これはひどいもので、まず補助金の支給候補の実績を問う。しかも米国と違って、SBIRを実行することを各省庁に義務付けていない。その結果、何が起きたかというと、いわゆる中小企業の経営者たちがお金をもらうわけです。大学院生やポスドクのような若き科学者には実績なんてないのですから。結局、日本版SBIRは、科学者を起業家にするどころか、「上から目線」の単なる中小企業助成制度になってしまった。

 調べてみると、日本の場合はSBIR被採択企業のほうが、SBIRの補助金をもらわなかった企業よりも売り上げのマイナスが大きい。つまり、ダメ企業にお金をまいちゃっているという悲惨な結果が出ました。