イノベーションは技術革新ではない

 利潤をもたらす上記の行為の本質、それは「われわれの利用しうるいろいろな物や力の結合の変更」にあるとシュムペーター(Joseph Alois Schumpeter)は主張し、これを「新結合」と名付けた [シュムペーター、『経済発展の理論(上)』、岩波書店、1977年(原著刊行は1912年)、p.182]。このシュムペーターの新結合こそ、イノベーションの原型である。そして「新結合の遂行をみずからの機能とする経済主体が企業家である」[同上、p.213]。

 新結合遂行の例としてシュムペーターは五つの場合を挙げる [同上、p.183]。

(1)
新しい財貨(新製品など)の生産・販売
(2)
新製法の導入(科学的に新しい方法に基づく必要はない)
(3)
新しい販路の開拓
(4)
原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
(5)
新しい組織の実現

 日本ではイノベーションの訳語に「技術革新」が長くあてられてきた。しかしシュムペーター自身が挙げる上記の五つの新結合と、技術革新という日本語の持つ雰囲気はかなり違う。上記の(3)~(5)などは、現代用語で言えば「ビジネスモデルの革新」だろう。

 シュムペーターはこうも書いている。「経済的に最適の結合と技術的に最も完全な結合とは必ずしも一致せず、きわめてしばしば相反するのであって、しかもその理由は無知や怠慢のためではなくて、正しく認識された条件に経済が適応するためである」 [同上、p.81]。

 イノベーションは技術革新ではない。既存の物や力の組み合わせ方を革新し、経済的あるいは社会的価値を実現する行為である。新しい物や力(要素)を創造するだけではイノベーションとは言えない。要素の組み合わせを変え、経済的・社会的価値を創造すること、これがイノベーションである。それぞれの要素は既存のものでかまわない。蒸気機関車の発明はイノベーションではない。蒸気機関車の発明を知って鉄道という社会システムを実現すること、これがイノベーションである。

新たな分業構造の実現はイノベーションそのもの

 上記の(3)~(5)が新結合すなわちイノベーションなら、分業構造の革新は、実はイノベーションそのものである。本連載では第3回~第7回で、電子情報通信産業で起こった新たな分業構造を紹介した。それは結果的に、この分野で起こったイノベーションについて述べてきたことになる。

 仕事であれシステムであれ、少し複雑になれば分業が必要になる。「人間にとって、ある複雑なシステムを管理し、または、ある複雑な問題を解決する唯一の方法は、それを分解することである」 [ボールドウィンほか、『デザイン・ルール』、東洋経済新報社、2004年、 p.76]。分解するとシステムはいくつかのモジュールに分かれる。

 モジュールに分けた仕事をどう分担するか。同一企業内で分担するか、それとも一部を他社に発注するか。他社に発注すれば金の流れが発生する。新たな顧客が生まれる。新たな分業の誕生はビジネスモデルの革新であり、産業構造の転換である。

 シュムペーターの新結合すなわちイノベーションとは、先にも述べたように「利用し得る物や力の結びつき方を変える」ことである。それは、まさに「モジュールへの分け方とモジュール同士の結びつき方を変える」ことにほかならない。となれば、モジュール化による分業の革新は、シュムペーターの原義に戻れば、イノベーションそのものということになる。

 電子情報通信分野で次々に起こった新しい分業のほとんどを日本企業はしりぞけ、垂直統合と自前主義に固執した。それは言い換えれば、この産業で起こったイノベーションに、日本企業は背を向け続けたということである。「電子立国」凋落、むべなるかな。