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 「何かを得れば、何かを失う。そして、何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない」――。

 私は今、この原稿をカリブ海はバハマに浮かぶ、小さな島のビーチで書いています。刺すほどに強い日差しと、突き刺さる嫁からの冷たい視線。「こんな常夏のビーチで何してるの!?」と、無言のプレッシャーを感じます。そして、小説家・開高健氏が紡いだ冒頭の言葉を思い出すのでした。

 仕事を採るかプライベートを採るか。私には、〆切が迫る原稿を投げ出して、青く透き通る海に向かって走り出す勇気は持ち合わせておりません。インターネットさえなければ…。この世界中をつなげる素晴らしい技術は時として、人の自由を奪うのでした。インターネットだけではありません。技術は時代に選択を迫ります。

自動運転の価値とは

 「楽しくなければクルマじゃない」――。トヨタ自動車 代表取締役社長である豊田章男氏の言葉です。日経エレクトロニクスの12月23日号で掲載予定の特集記事「自動車のミライ、202X 」の取材の一環で訪れた、「第43回東京モーターショー2013」での一幕でした。

 トヨタ自動車は今回の東京モーターショーで、“愛車”をテーマに開発した「TOYOTA FV2」を世界初披露しています。FV2は、音声認識や画像認識などによって運転者の感情を推測し、その感情と蓄積した運転レベルの情報や走行履歴などから運転者の今の状態に合わせたお薦めの行き先を提案するそうです。

 FV2の開発担当者は、「今後普及していくであろう自動運転へのアンチテーゼ」の意思を込めたと語ります。「自動運転開始」のボタンを押せば目的地まで届けてくれるような「単なるハコにクルマはなってはいけないのでは」(同氏)との思いを形にしたそうです。確かに完全なる自動運転は快適性や安全性を提供する一方で、“楽しさ”を奪うのかもしれません。自動運転で失うものは何か。単なるブームではなく、自動運転の実現で得られる利点を議論する必要がありそうです。

 クルマの将来像である自動運転が目指す姿は、運転者が安全意識を放棄させることではないと思っています。あくまでも運転者の“アシスト”が主目的で、肉体的/精神的な負担を軽減することが自動運転に期待されていることではないでしょうか。

 例えば、判断能力が少し低下した高齢者でも気軽に乗り回せるような自動運転車。ともすれば引きこもりがちになってしまう高齢者が、積極的に街に繰り出せるようにアシストしてくれるはずです。実用化が迫りつつある「ワイヤレス給電」も自動運転の恩恵を受けます。ワイヤレス給電の大きな課題は、送電コイルと受電コイルの位置をぴったり合わせないと電力伝送効率が落ちてしまうことです。電動車両に自動駐車機能が備われば、運転が苦手な人でも充電ケーブルから開放というメリットを十分に得られます。

 と、調子に乗って書き連ねてしまいましたが、突き刺さる視線の鋭さが増していることにふと気が付いてしまいました。そろそろ青い海へ駈け出さねばなりません。旅の道中で、エレクトロニクスの香りを探すのは控えようと思います(Tech-On! 関連記事)。インターネットのせいで日々送られてくるメールは、こっそり夜中に返信することになりそうです。年明けの家電の展示会「2014 International CES」の取材入れもしなければ。こんなつらい経験を得るために、100分で69米ドルという法外なインターネット接続料を支払っていることも、空しさを膨らませます。二兎を追うのはなかなかに難しいものです。