今回紹介する書籍
書名:我所理解的生活
著者:韓寒
出版社:浙江文芸出版社
出版時期:2013年1月

 今回は、若手人気作家である韓寒の「我所理解的生活(私にとって生活とは)」所収の「韓三篇」と呼ばれる文章から「自由」に関する文章を取り上げたい。

 中国は自由のない国だと言われている。卑近な例ではツイッターもフェイスブックも使えないし、「敏感詞」と呼ばれる政治的にデリケートな言葉を中国のサイトなどで書くと当局に削除される、という話もよく聞く。そして、自由主義国家に住んでいると、もちろん自由は皆保証されるべきものだし、皆が求めているものだ、と考えてしまうが、その点にも韓寒は疑問を投げかけている。

文化人は民主と自由は一対のものだと考えている。しかし、我が国の国民にとって、民主化がもたらすものは往々にして不自由である。大部分の国民が考えている自由というものは出版、報道、文芸、言論、選挙、政治とは何も関係がなく、公共道徳上の自由でしかない。たとえば社会的なつながりのない人は大声で騒いだり、適当に道路を渡ったり、そこらじゅうで痰を吐いたりできる。一方、社会的なコネクションのある人はルールを破ったり、法律のアナをすり抜けたり、悪いこともできる、といったように。

 この指摘は大変示唆に富むものだ。中国人は自由を求めているが、民主化すれば(国家体制が近代化すれば)今彼らが享受している自由の何割かが制限されてしまうのである。たとえば、彼らが問題視せず、日本人からすると大問題である「偽物」や「モノマネ」の問題も民主化が進めば解決に向かうのだろうか。だとすると、我々にとっては喜ばしいことだが、彼らにとっては「自由が阻害された」と感じる事態になるのかもしれない。しかし、韓寒は作家として自由な創作活動がしたいと訴える。また、自由が制限されている中国では世界的に影響力のあるメディアが育たないとも言っている。そしてそのようなメディアは金で買えるものではないのである。つまり真の意味での一流国になろうと思えば、自由がなければその目標は達成できない。

 自由が制限されていることによる弊害はそれだけではない。若者の政治に対する積極的な参加、ひいては、国の将来に対する主体的な関与をも阻害している。韓寒は「変革」「民主」「自由」のまとめとして次のように言う。

金のない人間は、公平な環境になり金を持てるようになるといいし、金のある人間も外国人に引け目を感じることがなくなるといい。すべての若者が改革や民主化に関して怯えることなく討論し、国家の将来を自分の体の一部のように感じて関心を持つようになってほしい。

政治というのは汚いものでもつまらないものでも危険なものでもない。そんな政治は真の政治ではない。漢方薬、火薬、シルク、パンダでは我々の誇りにはならないし、県知事の奥さんが100個ものルイ・ヴィトンを持っていても民族の誇りとは言えないのだ。

 まさに経済的には一流国となった中国が今後真の一流国になれるかどうかはここにかかっているし、そうなるべく若者を鼓舞していこうというのが韓寒のスタンスなのであろう。