今回紹介する書籍
書名:我所理解的生活
著者:韓寒
出版社:浙江文芸出版社
出版時期:2013年1月

 今回は、若手人気作家韓寒の「我所理解的生活(私にとって生活とは)」所収の「韓三篇」と呼ばれる文章から「民主」に関する文章を取り上げたい。

 前回の「革命」の項でも触れたが、韓寒は決して手放しで「民主」を賛美しない。もちろん、当局への配慮があるという見方もできるのだろうが、本書を読んでいると、彼の目で冷静に考えた結果、「民主」というものに対する以下のようなスタンスが決まったのではないかと思える。

「革命」「民主」という二つの名詞は全く異なるものだ。革命が民主をもたらすとは限らない。現在の中国は急激な変革が世界一起こり得ない国であり、またそれと同時に世界中で最も改革が求められている国でもある。

 急激な変革が起こればおのずと民主化されるだろうと考える人は多いが、そうとは限らないことは、ほかの国の例を見ても明らかである。韓寒はこのように広い視野で長いスパンで中国の未来を見ている。

 そして、韓寒は中国の国民にも「民主」を実現するためにかけるべきコストを提示する。

国民の資質が低いことは民主化の実現を妨げないが、実現した民主化の質は左右する。誰もルワンダのような民主化を求めはしないだろう。(略)民主化というものはゆっくり来る時もあれば、突然来る場合もある。完璧なものではないかもしれないし、米国的でも欧州的でもないかもしれないが、あなたが生きているうちに必ず来るだろう。多分目立たない形で。

 この後も民主化と国民の資質に関する記述が続く。多くの人が体制を変えれば民主化が実現すると考えているが、そうではないと韓寒は指摘する。民主化すればいままで享受していた「甘い汁」が吸えなくなる人も多いことなども述べている。また、共産党員が8000万人に達すること挙げ、共産党を単純に一つの党派や階層だと見なすことはできず、いまや共産党は国民そのものであり、「人民イコール体制」なのだという。であるから、変革するためには、体制を変えるのではなく、人民が変わることですべてが変わると説く。

 「鶏と玉子はどちらが先か」という質問ではないが、国民の資質が高いから良い制度が生まれるのか。あるいは良い制度があるからこそ国民の資質が上がるのかは分からないと述べている。ともあれ、民主化を実現するためにはただ制度か分かるのを待っているのではなく、自らの資質を上げていくことが求められているというのである。

 このように韓寒の指摘は一般庶民にとって耳が痛いものだが、大変啓蒙的だ。 だからこそ、この文章は韓寒のブログの中でも名作と言われるのだろう(本書の文章は形を変えてあるが)。

 次週では「民主」と「自由」について述べた部分を取り上げ、紹介する。