通信カーナビの製品化まであと1年を切った2002年初頭
パイオニアの前に救世主が現れた。
アルプス電気がデータ通信モジュールを開発、
製造してくれることが決まったのだ。
なかなか話に乗ってこない国内メーカーへの依頼はあきらめ
反応の良い韓国メーカーと正式に契約する直前の出来事だった。
これを契機に開発が急ピッチで進み始める。
それでも開発陣の前には,いくつもの山が大きく立ちはだかっていた。

 「えっ? 私たちも会議に出るってことですか」

 「そうそう。ひとつよろしく」

福田俊一(ふくだ・しゅんいち)氏
福田俊一(ふくだ・しゅんいち)氏
1985年,パイオニアに入社。10年間,カー・エレクトロニクス商品の営業職に従事する。その後,「カロッツェリア」ブランドの製品のマーケティングを担当。(写真:柳生貴也)

 2002年初頭。営業部の福田俊一と松本賢一は,とある会議に駆り出されることになった。

 データ通信モジュールのメーカーが決まったことを受け,通信カーナビの開発が本格化しつつあった。製品の具体像が形を取るにつれ,その販売戦略の重要性が浮かび上がってきた。通信カーナビは,パイオニアがこれまで手掛けてきたカーナビとは全く違う商品。本体にデータ通信モジュールを内蔵し,それを介して最新の地図データなどさまざまなコンテンツをどんどん獲得できる。前例がない商品だけに,価格の設定や販売方法などについて,さまざまな部署の英知を結集する必要があった。福田と松本には営業のスペシャリストとして声が掛かった。

 まず議題として挙がったのが,一体いくらなら通信カーナビという新しいコンセプトの製品を買ってもらえるのか,ということだ。通信カーナビの発想の原点は「5万円カーナビ」である。しかし,データ通信モジュールなどの価格が当初の予想よりも高く付いた。部品代を積み上げると,5万円の実現は難しい。通信料金の問題もあった。本体がいくら安くても,毎月の支払いが膨大になってしまっては元も子もない。「お手軽に買えて,ランニング・コストも安い製品にしたい」。商品企画部の畑野一良らが,どうしても譲れない一線だった。