10年来の付き合い

 プレゼンテーションから数カ月後の2000年初頭。1年後の製品化を控える,ハード・ディスク装置(HDD)を搭載したカーナビの企画に携わる傍ら,畑野の頭には超廉価カーナビのことが常にわだかまっていた。いくら考えても,いまだに不安を払拭できない。自分の着想は本当に正しいのか…。

 そんなとき,畑野はいつも決まって取る行動がある。ある人にまず話してみて,その反応から判断するのだ。畑野が頼りにする,その男の名は清水敏彦。パイオニアの関連会社で,カーナビ向けのデジタル地図データなどを手掛けるインクリメントPの代表取締役社長である。畑野が電話をかけた相手は,この清水だった。

 畑野と清水の付き合いは長い。さかのぼること12年。1988年当時,パイオニアの川越技術研究所に籍を置いていた清水は,畑野とともに業界初のGPS搭載市販カーナビの開発メンバーとしてプロジェクトに参加していた。ハードウエアを担当する畑野に対して,デジタル地図の編集システムに取り組んだのが清水である。

 この2人が両輪となって,パイオニアは1990年にGPS搭載市販カーナビ第1号の製品化にこぎ着けた。その後,清水は関連事業部 事業開発室長に就任し,デジタル地図の内製化とともに,デジタル地図事業の分社化の検討にも着手する。そして1994年5月に,パイオニアのデジタル地図事業は「インクリメントP」として独立し,清水は社長に就任したのだ。

 パイオニアにインクリメントPと,所属こそ分かれた畑野と清水だが,2人の交流は変わらずに続いた。仕事上で大きな懸案があると,畑野はまずは清水に話をしてみる。清水の反応が良ければ,自信がつく。逆に悪ければ,再考する。畑野にとって清水は仕事上の大切なパートナーであると同時に,自分の考えが正しいかどうかを判断するリトマス試験紙のような存在だった。

 畑野には,清水率いるインクリメントPに協力を求め,仕事を依頼できるかどうかを見極めたいとの目算もあった。通信機能を内蔵するカーナビのカギを握る地図データの配信技術の開発は,インクリメントPの力添えなしでは実現できそうもない。だが,自分と清水が同じ考えを共有し,1つの方向を目指さないと,話は先に進まない。自分のアイデアに清水がどの程度賛同するのか。それを探りたかった。

畑野一良氏と清水敏彦氏
畑野一良氏と清水敏彦氏
畑野氏(写真左)と清水氏(同右)は,パイオニアが1990年に業界で初めて製品化したGPS搭載市販カーナビの開発時にも,タッグを組んだ仲である。(写真:柳生貴也)