パイオニアが2002年11月に発売した「Air Navi AVIC―T1」。
この製品には従来のカーナビの常識を覆すシカケが施されていた。
最大の特徴はデータ通信モジュールを内蔵したこと。
その代わり,DVD装置やHDDなどは付いていない。
さらにはカーナビ本体と通信料などを一体化した料金体系の採用,
そして分割による支払い方法の導入…。
すべては1990年にカーナビ第1号機の開発に携わった
ある技術者の発想から始まった。

 「5万円,5万円…」

 東京・目黒にある大手AV機器メーカー,パイオニアの一室。男は2時間ほど外していた自分の席に戻ると,いすにゆっくりと身体を沈めていった。

 「5万円か…」

 呪文のように唱えながら,いつの間にか目いっぱいに倒していたいすの背もたれを,スーッと再び元の位置に戻しながら一人つぶやいた。

 「んー,なかなか面白そうな話じゃないか」

 柔和な表情からは想像できない,その男が持つ熱い技術者魂に再び新たな火が付こうとしていた――。

畑野一良(はたの・いちろう)氏
1980年,パイオニアに入社。1988年にカー・オーディオの商品企画に携わる傍ら,業界初のGPS搭載市販カーナビを企画する。1990年に同商品を発売して以降,カーナビの企画部門にて事業の拡大に従事。(写真:柳生貴也)

 畑野一良。パイオニア社内で彼の名を知らぬ者はいない。1990年,パイオニアは世界初のGPS搭載市販カーナビを世に送り出した。そのカーナビの生みの親こそ,畑野だった。

 「カーナビを開発するのはどうでしょうか」

 畑野が発したこのひと言から,パイオニアのカーナビの歴史は始まったといっても過言ではない。

 1988年,パイオニアは激震に見舞われていた。それまで同社などの音響機器メーカーから購入していたカー・オーディオを,自動車メーカー各社が自ら生産するとのニュースが飛び込んできたのだ。突然の事態を受け,部署を超えて若手技術者が集められた緊急会議で,カー・オーディオに代わる新たな商品としてカーナビの開発を提案したのが畑野だった。

 当時はトヨタ自動車やホンダといった大手自動車メーカーも,カーナビを何とか実用化しようと開発に心血を注いでいた時期。とはいえ,いずれも技術的な壁にぶち当たり,製品化まで至っていなかった。

 「あのトヨタやホンダでさえ製品化できないものが,ウチで開発できるわけがない」

 陰でささやかれる否定的な声をものともせず,畑野を中心とした開発陣は1990年,業界初のGPS搭載カーナビの製品化にこぎ着ける。パイオニアの中のパイオニア。それが畑野である。