ベンチャーの技術に光明

 完全に形勢が逆転したかにみえたこの時期,それでも垂直記録方式の実用化に執念を燃やす日本メーカーがあった。後に世界初の実用化に成功した東芝や,東芝を猛追するライバルの日立製作所ではなかった。このころ垂直記録方式の採用に最も積極的だったのは,今では垂直記録方式の導入時期で他社の後塵を拝している富士通である。富士通は,岩崎が垂直記録方式の普及のために日本学術振興会に設立した「磁気記録第144委員会」の設立当初のメンバーであり,当時は垂直記録方式の実用化に本腰を入れていた。

 「どう思う?やるか?」

富士通でHDD の研究開発をしていた三浦義正氏。

 富士通で垂直記録方式の実用化プロジェクトが動き出したのは,1989年ごろ。富士通でHDDの研究開発をしていた三浦義正の元に,同社の専務から連絡が入った。HDDに使える垂直記録方式の独自技術を持つCenstor社から,売り込みがあったというのだ。

 当時,垂直記録方式の旗色が悪くなっていた一因は,ヘッドと記録媒体を接触させなければ使い物にならないと見なされていたことだった。媒体表面から漏れ出る磁束が,長手記録方式よりも少ないとされたためである。ヘッドを浮上させることが前提のHDDでは,接触記録への移行は受け入れ難かった。接触させた場合の信頼性の確保に苦労することは目に見えていた。垂直記録方式の適用でFDDが先行したのは,FDDはもともと接触記録だったことが大きい。

 Censtor社の技術は,この問題に解を与えるものだった。同社は柔軟性のあるアームの先に非常に小さいヘッドを取り付けて,記録媒体に優しく接触させる「MICROFLEXHEAD」と呼ぶ技術を持っていた。Censtor社の社長と食事をしながら詳細を聞いた三浦は,その独創的なヘッドに光明を見た。ヘッドと記録媒体の接触状態を常に保ちたいが,傷を付けないように押し付ける力は弱くしなければならない。この相反する課題を,Censtor社の技術を使えば解決できそうだ。

 「面白そうですね,ぜひやりましょう」

 三浦の目は,いつになく輝いて見えた。(文中敬称略)