タイトル
日経エレクトロニクス1993年8月30日号の裏表紙を飾ったSH-1の広告

 1990年10月に米Motorola社との特許係争が終結すると、日立製作所ではフラッシュ・マイコンと並行して、アーキテクチャを一新したマイコンの開発プロジェクトが立ち上がる。「SH(SuperH)マイコン」がそれだ。Motorola社との争いは終わっており、過去のしがらみにとらわれる必要はない。真っ白なキャンバスに思いのままに絵筆を走らせるように、「マイコンをReengineering(再構築)しようという意気込みで開発に取り掛かった」(牧本)。

 当時、組み込み向けマイコンの多くはCISCアーキテクチャの16ビット品だった。これに対し、牧本らはSHマイコンをRISCアーキテクチャの32ビット品にすると決める。RISCアーキテクチャは、1970年代に米IBM社が「IBM 801」と名付けたコンピュータに適用したのが走り。1985年には米MIPS Computer Systems社(現MIPS Technologies社)が商用マイクロプロセサにRISCアーキテクチャを導入した。以後、IBM社の「POWER」や米Sun Microsystems社(当時)の「SPARC」など、高性能志向のマイクロプロセサに相次ぎ採用されていった。

 RISCアーキテクチャならではの処理性能の高さを生かしつつ、低消費電力を独自の売りにする――。牧本たちはこれをSHマイコンの命題に据えた。そこで、消費電力を抑えるための工夫を数多く採り入れた。例えば、アドレス長とデータ長は共に32ビットとしながら、命令セットのコード長は16ビットの固定長とし、動作効率を高めた。これらの開発には半導体事業部だけでなく、全社の複数の研究所から精鋭を集めて取り組んだ。この時、設計開発チームのコア・メンバーの一人だったのが、赤尾泰(ルネサス エレクトロニクス前社長)である。

 第1弾製品「SH-1」の発表にこぎ着けたのは、1992年11月。SH-1は0.8μmルールのCMOS技術で製造し、集積するトランジスタ数は約60万個。最大動作周波数は20MHzである。SH-1はさまざまな性能指標において、当時の組み込み向けマイコンの常識を覆した。まず、消費電力当たりの性能が数十MIPS/Wと非常に高かった。チップ上のCPUコアの面積はRISCベースとしては当時業界最小の6.58mm2で、4KバイトのRAMや64KバイトのROMなどを含むチップ面積は約100mm2だった。これにより、処理性能当たりのコストを1米ドル/MIPSにまで下げることができた。加えて、各種のマルチメディア処理に対応できるDSPも同一チップ上に集積していた。

 1993年3月にはSH-1のサンプル出荷を開始し、各種メディアに大々的に広告を打った。同年8月に「日経エレクトロニクス」の表4(裏表紙)に載せた広告は、半導体製品の広告としては異例だった。半導体事業部長に昇格していた牧本の全身写真に、「決断のシングルチップ」というSH-1のキャッチフレーズを添えたのである。日立にとって、そして牧本個人にとっても、SH-1はマイコン事業の再出発を宣言するまさに「決断のチップ」だった。