1996年夏。松下電器産業(現パナソニック)の光ディスク事業部は,携帯型DVDプレーヤの先行開発に着手した。先行開発を担当した名本吉輝は,まず人員不足に悩まされる。その後,少しずつ人員は増えたが,土地勘のない分野の技術調査や事業部間の文化の違いなど,頭を痛めることばかり。その一方で,先行開発は着実に成果を上げていた。同11月には企画書と簡単な試作機を作り上げ,それらを開発部隊に披露してみせた。その後も名本らは着々と先行開発を進める。そして,1997年が明ける。

「明けましておめでとう。昨年は据置型DVDプレーヤの開発,そして製品化とご苦労さまでした。皆さんの努力のお陰で…」

 1997年1月6日。大阪府門真市にある松下電器産業の光ディスク事業部で,事業部長の四角(よすみ)利和が部下を前に新年のあいさつを始めた。

「…とはいえ,まだDVD関連事業は立ち上がったばかり。1997年はいよいよ勝負の年になります。その目玉商品となるのが『ポータブル』なのです…」

 ――はぁ。この人,やっぱり本気や。このとき,初めて四角の口から直に「ポータブル」という言葉を聞いた名本吉輝は,身の引き締まる感覚を抱いたに違いない。前年秋から名本が手掛けてきた携帯型DVDプレーヤの先行開発は,ここにきてかなり具体性を帯び始めている。それが今年の目玉商品だと事業部長は言った。

「…完成すれば,世界初になるでしょう。外出先に持ち運べるDVDプレーヤを松下電器が世の中に初めて提案するわけです。いいですか。世界初ですよ。技術者の皆さんにはそういう自負を持って,設計に当たっていただきたい」

 世界初にかける四角の意気込みは尋常ではない。名本はそれを体感し,ただただ圧倒されるばかりだった。

携帯型DVDプレーヤ開発の歴史
携帯型DVDプレーヤ開発の歴史
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