1995年,次世代AV機器「DVDプレーヤ」の規格競争が勃発した。東芝や松下電器産業(現パナソニック)などの6社が推進する「SD規格」と,ソニーなどが推進する「MMCD規格」。2つの規格が,真っ向からぶつかり合ったのだ。だが,激しい覇権争いの末に,規格は統一への道を歩み始める。そうなれば,後は製品開発競争。「世界初」のDVDプレーヤの実現に,各社がしのぎを削る。こうした中,松下電器は「光ディスク事業部」を立ち上げた。 それを統括する事業部長としてやって来たのは「あの男」だった。
「久しぶりやな。そっちの方は大丈夫やったんか」
「おかげさんであんまり揺れは激しなかったからな」
「そうか。そら何よりや。そやけど,神戸も,東京も大変やったやろ」
「ああ。そやな…」
1995年。この年は年初から暗い影が日本列島を覆っていた。6000人以上の死者を出した「阪神・淡路大震災」,死者11人,5000人以上が負傷した「地下鉄サリン事件」…。痛ましい出来事や事件が次々と起きた。東京も,関西も,そして日本中が明るいニュースを渇望していた。
暗い世相の中で,家電業界には明るい話題が1つあった。次世代のデジタルAV(オーディオ・ビジュアル)機器として家電メーカーの期待を集めていた「DVDプレーヤ」の規格統一である。
当時,国内外の多くの家電メーカーが,このAV機器の規格策定でつばぜり合いを繰り広げていた。何としてでも自らに有利な規格にしたい。DVDの技術開発に携わる多くの技術者はこう考えていたはずだ。規格争いで主導権を握ることができれば,DVDプレーヤだけでなく,記録媒体や部品などの巨大な周辺ビジネスが手中に転がり込んでくる。このことは,CDプレーヤの規格策定で主導権を握り,その後のビジネスを順風満帆に進めたソニーやオランダRoyal Philips Electronics社の歴史が証明していた。