久々に開催した発表会には、相変わらず多くのメディアが集まり、好意的な報道が多かった。この新商品により、画像の圧縮率は向上し、テレビでも見られるようになった。筆者自身、いまだに違う部屋のテレビで別の部屋のレコーダーに録画された映像を楽しんでいる。さらに、お付き合いがある会社の方からも、「今までアンテナがなくてテレビを置けなかった台所でもテレビを見られるようになった」との意見をいただいたことを覚えている。

会議に多くの時間が割かれる

 ライセンス供与によって、他社の仲間を増やしながら新商品の開発を進める一方で、新経営体制が本格始動してからは、当時のテレビ・ビデオを担当する副社長命令の元、MOC(Monthly Operating Committee)なる全事業単位で経営数字をチェックする会議が毎月開かれるようになった。ソニー自体が新規商品のマーケティング力が低下していることに対する応援や商品性の議論などが実施されれば良いものの、実態は単なる赤字か黒字かというチェックのみの会議であった。資料作りに多くの時間を割く羽目になったのである。

 ロケフリの新製品は発売から短期間であったため、数字が一気に上がるわけでもないのであるが、数字に対する追及は激しくなる一方で、徐々に止めていく雰囲気になっていったのである。副社長と筆者との間には、当時、ロケフリ部隊が所属していたビデオ事業本部を担当している役員がいたのであるが、ほとんど助けになる発言はなく、副社長の独壇場であった。

 そのような状況の中、代表執行役 会長 兼 グループCEOのHoward Stringer氏が率いるSCA(Sony Corporation of America社)から、商品の新規性や将来性についてもっと皆で広げようという話が湧いてきた。これがきっかけとなり、米国法人のSony Electronics(SEL)社で戦略会議が開かれ、Stringer会長もテレビ会議でニューヨークから参加し、出身の英国の放送会社などの紹介を提案されたのだった。

 しかし、会議を行っただけでマーケティングの増強などは実施されず、逆に米国マーケティング部隊からは売る努力よりも、密かに副社長への事業の中止提案などが出されており、数字的には下がっていったのである。ITの本拠地である米国だけに、まだHoward Stringer率いるSCA(Sony Corporation of America)には日本よりは商品性などについては理解があったものの、当時のエレクトロニクス事業は日本の管轄であったため、Stringer会長ですらマネジメントに口出しができなかったのだ。

 Stringer会長の経営についてはさまざまな意見があり、現在のソニーにした責任はあることは確かであるが、彼だけの責任ではなく新規商品を育てられなかったのは日本のマネジメントの影響も多々あることを記しておきたい。加えて、新規商品市場を作り上げるというソニー本来の姿を持たないで、売りやすいものを売るというマーケティング部門の問題も深い。これは新規商品でなくとも他のカテゴリーでもすべて苦戦しているところに表れているのである。

EMSに委託するも・・・

 上記のような環境ではあったが、ロケフリ部隊では、何とかビジネスの芽を摘まないように他社へのライセンス供与を含めたマーケティングと並行して、家庭のテレビでもロケーションフリーにするというコンセプトを拡大できる新商品の発売にこぎ着ける努力を続けていた。その一つが、EMSへの委託である。初代エアボードのころから、ソニーの製造子会社であるソニーイーエムシーエス千厩TECの工場の協力を得て一緒に苦労しながら立ち上げていたが、LF-BOX1では初めて台湾のEMSに委託することにしたのである。