組織変更で本社直下から脱出に応援者

 LFXプロジェクトでは、エアボードの機能拡張として、NTT東日本/西日本とが進める「Lモード」にも対応した。固定電話のIT化を命題として、携帯電話の「iモード」に倣って始まったLモードであるが、固定電話の逆風の中で思うように普及していなかったと記憶している。使い勝手のよい端末もなかった状況だったので、NTT東日本/西日本にとって、12.1型の液晶パネルを搭載したエアボードは、話題性を含めた普及への起爆剤と期待していただいたのだろう。

Lモード対応のエアボード
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 NTT側の責任者の方も、筆者の経験から感じていたそれまでのNTTのイメージとは異なり、自ら責任を持って早く決断して頂いた。そのお陰で、LFXプロジェクトの発足後8カ月ほどで完成し、2003年6月24日のプレス発表にこぎ着けたのだった。ただし、Lモード対応機は、先の囲碁ゲーム対応とは異なり、機種名程度の違いではあるが新たなハードウエアの製造が必要だった。開発が終わりに近づくにつれて、生産管理や製造に関するインフラが本社にはなく、その対応をどうするかという問題を解決する必要があった。

 この難局を救ったのが、組織変更だった。2003年4月1日付けで、ソニーコンピュータエンタテインメントの社長だった久夛良木さん(久夛良木健氏)が、副社長としてソニーに復帰し、ブロードバンドネットワークカンパニー(BBNC)の担当役員になった。久夛良木さんは、モノを製造販売するインフラのない本社直下でどうしようかと悩んでいたところ、非常にタイミングよく私の部隊をBBNCに引っ張ってくれたのである。これで、生産に関する問題は一気に片付いたのである。

 この結果、晴れてNTT東日本/西日本とソニーは共同で、2003年6月にLモード対応のエアボードを、銀座ソニービルでプレス発表したのだった。この発表でも、数多くの報道陣に来場いただき記事を掲載いただいたことを記憶している。すでに携帯電話機の普及が急拡大している時期で、Lモードも2001年6月のサービス開始からかなり時間が経過したタイミングだったことも重なり、ビジネスとしては大成功したとは言い難かったが、エアボードのLモード対応ということで話題を継続して提供できたことは確かである。また、これを機会にNTT東日本とも非常に良好な関係が構築でき、次のロケーションフリーにもつながっていくのである。

新商品開発も着々と進む

 LFXプロジェクトでエアボードの機能拡張を進めている間、HNCのシンフォニー・プロジェクトでは具体的なアイデアが出ないまま、ただ時間だけが過ぎていったようだ。シンフォニー・プロジェクトに残さざるを得なかった旧エアボードの開発メンバーも、我々がいる大崎東テクノロジーセンターに来ては、愚痴をこぼしながら、LFXプロジェクトに合流したいという気持ちを訴えられたことを記憶している。

 もちろん、LFXプロジェクトでは、本題であるロケーション・フリー・テレビの開発を着々と進めていた。2003年秋には試作機が完成し、営業部門と共に、発売に向けた準備を進める段階になった。