当時、様々な評論家の方がテレビのインタビューなどで、欧米の経営手法であるEVA(経済付加価値)基準の導入が問題だったいう論調がなされていた。実際に社内にいた人間から見ると、EVAが現場に影響することはなかったと考える。成長戦略ではなく短期的な利益しか目指せないことこそが問題だったのだ。

 成長戦略を描けなかった原因は、年齢が若いという理由だけで新規商品の開発を行った経験がない人間を抜擢し、これまでのソニーの屋台骨を支えてきた開発経験者の多くを退任させたことに尽きる。この結果、中途半端な分社意識のみで目先の利益を追った組織運営しかできなくなり、それまでソニーが継続してきた新規商品を世に出すことができない企業になってしまった。要するに“カンパニーごっこ”をしていただけに過ぎなかったのだ。

 現に、この組織変更で抜擢されたプレジデントの中で結果を残したものは少ない。それどころか、ソニーを率いていけるだけの経営陣を育てられなかったのだ。経験不足とはいえ、優秀な人材だっただけに、いくつかの段階を踏ませていくという育て方をすべきであったと思う。

若手プレジデントと衝突

 この組織変更は、私が率いていたエアボードの事業部に大打撃となった。エアボードの事業部が所属するディビジョンカンパニーのプレジデントに就任した若手との衝突である。この若手プレジデントは、本社スタッフとしての勤務が長く、商品開発の経験は少なかったが、オペレーションが成否のカギを握る事業で世界展開から国内展開に事業を縮小することで黒字化した経験から抜擢されたのだった。

 内定が決まって早々に若手プレジデントから送られてきたメールは、以下のものだった。(1)エアボードの名前を変更すべき注)、(2)製造事業所を変更すべき、(3)成功させた事業のノウハウを活用した改革をすべき、というものだった。要するに、エアボードという商品を理解されず、自らが成功した手法をそのままエアボード事業に導入しようとしたのだった。

注)ちなみに(1)のエアボードという名称は、マーケティング会社SMOJの担当を中心にいろいろ議論の元、ハイパーメディアクリエーターの高城剛氏が名付けたもので、この名前を育てていくと言うことで決定したものだった。