「携帯電話用電池の標準になっている四角形の電池のプロジェクトを始める際に、社内に味方がほとんどいませんでした。お客さんは軽くて小さな携帯電話を求めていたわけですから、思い切って軽量のアルミ缶方式に最初に取り組みました。当時の常識では鉄かステンレス鋼を使うところです。われわれが商品化に成功して2年くらい経過しても他社は追随できなかった。でも技術部門のトップは『すばらしい』とは言わず、『よそがやらないのはお前らが間違っているのではないか』」といった言い方をしました。こんな風土の中にいてやっていけるとは思えなかった。『味方せいよ』と心の中で叫びました。三洋が電池でトップを走れたのはこれで稼いだ資金でパソコン向けの円筒型電池などに先行投資できたからです」

「石橋をたたいても渡らない、リスクを取らないような風土がまん延しています。そして、挑戦しないことに対しては何もとがめられない。これだと他社に競争に負けても連帯責任で終わるから楽です。ある一人がやろうと言って失敗したら、お前が責任取れと言われる。それをみな嫌がっています。特に今の経営陣は、産業が踊り場に来た時に対処する術を知りません。私も知りませんが、リスクを取るプロセスでそれが見えてきます。いま日本のリチウムイオン電池産業は、踊り場に来ています。退社する数年前からノートパソコンと携帯電話向けだけでは将来ないと思って、いろんなことに挑戦しました。儲かっているうちに、次のことやらないといけないが、山を下り出してからやろうとするのでは、原資も少なく思い切った取り組みができないからです」

 筆者も長らく産業界を取材してきて、日本の企業には確かにこうした風土がはびこっていると感じる。ビジネスの現場で挑戦して失敗した人間が嘲りに近いような目で見られ、何もしないで社内調整に長けた人が出世していく。日本を代表するような複数のメーカーで、秘書部門出身者、しかも秘書や総務しか経験したことがなく、実業の現場をほとんど知らないような役員が社長になっている例もあるから驚いてしまう。

 ビジネスの現場はある意味で「戦争」だから「勝負は時の運」といった側面も否めない。特に今のような先行き不透明な時代、新しい時代を切り開くために武骨だが突破力のある人材が求められているが、企業はこうした人材を評価しない傾向にあるように思えてならない。

 歴史にたとえると、こう考えればいい。戦国時代は槍(やり)働きができて戦に勝てる武将が出世した。戦乱が終わり、安定した世の中になると、槍や刀で貢献するよりも年貢を正確に徴収したり、大名間の争いを調停したりする術が求められた。今のグローバル競争が激化している局面はどう考えても「戦国時代」だから、槍働きのできる人材が必要なのだ。