話せば分かると問答無用

 当協会の北京事務所にはいろいろな訪問販売のセールスマンがやってきた。電話セールスも多い。多くの事務所は玄関に「謝絶推銷」(押し売りお断り)の表示を貼り、電子ロックを取り付けて、アポイントなしでは入れないようにしている。当協会の事務所はそこまで防御していなかったし、受付係もいないので、所長の私が対応した。

 そこで分かったことは、中国のセールスマンは丁寧に理由を説明した上で「不要」だと言えば、二度とやって来ないが、説明もしないで単に「不要」だといえば必ずまたやって来るということだ。つまり、説明を聞き、買う気がないことを確信すれば、もう無駄なセールスはしないが、理由説明のない「不要」は「値切るための駆け引きかもしれない」と判断し、再度セールスをかけるというわけだ。

 3年後、東京に帰任し、日本の訪問販売セールスマンにこの方法を使って大失敗した。事務所にやって来る彼らは、丁寧に説明して断れば断るほど、再三やって来る。理由など説明せず、「興味はない、二度と来るな」と追い返すのが一番いいのだという。

 実際、日本はしつこいやり取りを嫌う「問答無用」の社会であり、中国は説得するのにエネルギーを費やすが、「話せば分かる」国であると思う。

休暇の中国一人旅

 北京駐在の2年半、私は年末の会議のために一時帰国した以外は帰国せず、中国の休日にはできるだけ一人で中国国内を旅行した。春節、メーデー、国慶節の3大休日には地方に、毎週末は北京近郊に出かけた。家族を呼んで、承徳、フホホト、上海、広州、香港へも行った。

 近くでは北京の西、門頭溝区にある百花山へ路線バスとミニバスを乗り継いで行った時のことが印象深い。山頂のお花畑のロッジが満員だというので、登頂を諦めて、バスの中で知り合った客2人と共に山麓の清水鎮にある王さんという農家に泊めてもらい、付近を観光した。

 王家は、四合院に親戚数家族と犬一匹が住む大家族であり、中庭で一緒に夕食を食べた。王さんは戦前から定年まで北京市内の「二鍋頭」酒廠の労働者だった人で、日本人を見たのは数十年ぶりだと語ってくれた。清水鎮には共同墓地があり、この鎮でかつて行われた抗日戦争と国共内戦に参加して死亡した村の青年たち一人ひとりの石膏胸像が並べられ、胸像には姓名と戦死年月日が刻まれていた。盧溝橋の抗日戦争記念館よりも強い訴えを感じた。