今、日本の科学技術は危機的な状況を迎えています。社会の中で「科学嫌い」がじわじわと広がっているからです。嫌いという感情は「科学が怖い」につながる。怖いから嫌いなのか、嫌いだから怖いのか、それは分かりません。ただ、根底は「知らない」という点でつながっています。

著者の竹内薫氏(写真:加藤 康)
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 人間は知らないことに対して畏怖の念を感じる。見たことのない大きな動物が目の前に出てきたら「こいつに食われるかもしれない」と考えるでしょう。科学技術というのは同じように得体の知れない怖さを持っている。それが「嫌い」という感情につながり、科学技術への負のイメージを助長しているのです。

 その理由を探り、科学への考え方を変える一助になればと思い、本書をまとめました。英国の『Nature』と、米国の『Science』という世界的な2大科学雑誌を題材に、欧米と日本で科学技術がおかれた状況や歴史の違いなどを分析しています。これらの科学雑誌はかなり専門的な内容にも関わらず、欧米で数万人以上の多くの読者を抱えています。他の科学に関連する雑誌やテレビ番組のすそ野の広さを考えると、日本は科学技術に興味を持ってもらう機会が少ないと感じています。

東日本大震災を契機に表面化した「科学嫌い」

 日本で「科学嫌い」が特に目立つようになったのは、東日本大震災以降です。原子力発電所の事故は大きかったのでしょう。「科学技術はいらない。江戸時代に戻れ」というような極端な発言が、多く聞こえてくるようになりました。発言の主は、かなり有名な作家などの識者だったりします。

 でも、現実問題として、今の社会や生活を江戸時代の水準に戻すことはできない。もし、エネルギーが足りなくなれば、人命が失われる可能性だってあります。私は基本的に現実主義者です。感情が先に立った「自然に還れ」的な発言は、それが出発点になって「科学技術はいらない」という結論になってしまう。なぜ、こうなってしまったのか。今、自分の胸に問うているところです。

 「不具合が生じたら、科学をなくしてしまえばいい」。こうした発言が出てくる背景にあるのが「知らない」こと、つまり科学リテラシーの低下です。これまでも決して、科学技術を「知らない」ということが放置されてきたわけではありません。でも、科学技術の面白さを伝える戦力が日本には圧倒的に足りない。科学技術を一般に広める仕事をする人が少ないというツケが回ってきた。震災は、そのことが表に出る一つのキッカケになりました。

 実際、日本では、科学技術への関心が低くなる一方です。例えば、私が高校生の時代に、高校で物理を履修する生徒は7割を超えていましたが、今は3割以下に落ち込んでいます。理科系の大学の入学試験で物理を選ぶ必要がなくなったことが大きい。大学で学ぶ学問が物理や工学ではなくても、物理の知識は重要です。医師を志すとすれば、実務でMRIのような最先端の医療機器を扱うことになる。果たして、そういった機器の原理をある程度知らずに、治療に当たれるのでしょうか。今や、工学部ですら物理を学んだことのない学生がいると聞きます。

 「多くの理科系科目がある中、物理学だけを特別扱いするのはおかしい」。恐らく、そういう論理で教育の政策が決まったのでしょう。でも、学問というものは階層構造があって、基礎的な学問の上に構築されています。例えば、DNAの発見も物理学の知見がベースにありました。そういう構造の中で、理科系の学生が根幹の一つである物理を学ばなくてもいいという方針は、間違いだと思うのです。

科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか、竹内薫著、1,155円(税込)、単行本、220ページ、新潮社、2011年12月

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